日羅が創建した日羅寺、物部守屋が築城した「稲城」と地名譚
[住所]大阪府八尾市南木の本7-33
[電話]072-991-7953

樟本神社(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市南木の本にある神社。南木の本樟本神社・南木本樟本神社・南木ノ本樟本神社・南木之本樟本神社とも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 志紀郡「樟本神社三座」の一座に比定される式内社(小社、鍬靫)。近代社格では村社。

創建の年代は不詳。最初は木本村に三座あったが、北木本が分村し、さらに南木本が分村して、それぞれに一座ずつに分けられたという。当社は南木本に該当する。当社は木本とは至近。

境内に、高樹山日羅寺がある。日本人の父を持ちながら、百済王宮に仕え、達率の官位まで昇った日羅が、日本に呼び戻された時に創建したという。

薬師如来を本尊とし、聖徳太子の作だと伝わる。

第30代敏達天皇は、欽明朝に失った「任那」の復興について、日羅を百済から呼び戻し、阿斗の桑市に館を与え、厚遇をもって迎え、半島情勢を相談した。

阿斗は当社の現在地付近とも、あるいは渋川郡跡部郷の一帯ともされ、後者であれば、物部守屋の別業があったと伝えられる阿都の地のことか。現在は、跡部神社がある。

日羅は、今は国力を蓄える時と説き、討つべき相手は新羅よりもまず百済であると進言したため、百済の使者によって暗殺されたという。

当地はもともと物部氏とゆかりが深く、第31代用明天皇の時代に物部守屋が当地にも守護神を勧請したと考えられている。

現在、当社の御祭神は、布都大神、あるいは饒速日命ともされる。現在は、当社を含む三社とも布都大神を御祭神とする。

当社の例祭は10月9日・10日。

現在、当社は鳥居を入った先に拝殿が、その奥に、透塀に囲まれた中に本殿が、南面して鎮座している。この様式は、当社を含む三社とも共通している。

境内には日露戦没紀念の石碑が立っており、やはりクスノキがそびえ、本来はクスノキの巨木を霊木とした祭祀の場だったともされる。

木本の地名も、物部守屋が聖徳太子の軍を防ぐため、この辺りに「稲城」を設け、城中に榎木があったため、「榎木城」と呼ばれ、村名が「榎木村」となり、後に「木本」になったと伝える。

南木の本の光蓮寺には稲城址の石碑がある。

【ご利益】
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樟本神社 大阪府八尾市南木の本
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