物部守屋旧領、首洗いの池、守屋誅滅記念の大聖勝軍寺が至近
[住所]大阪府八尾市北木の本5-73
[電話]-
樟本神社(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市北木の本にある神社。北木の本樟本神社・北木本樟本神社・北木ノ本樟本神社・北木之本樟本神社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 志紀郡「樟本神社三座」の一座に比定される式内社(小社、鍬靫)。近代社格では村社。
創建の年代は不詳。最初は木本村に三座あったが、北木本が分村し、さらに南木本が分村して、それぞれに一座ずつに分けられたという。当社は北木本に該当する。
御祭神は、古来は木霊とされるが、後、布都大神、饒速日命となった。現在は、当社を含む三社とも布都大神を御祭神とする。
当地が物部氏の旧領地であり、第31代用明天皇の時代に物部守屋が守護神として崇めていた神々を持ち込んだと考えられる。
境内は、小公園になっており、その一角に直径約3メートルほどの池「守屋首洗池」がある。用明天皇2年(587年)の丁未の乱で討たれた物部守屋の首を洗った場所と伝えられる。
当社の北西2キロ弱ほどの所に、物部守屋ゆかりの跡部神社が鎮座する。
当社のほぼ真北1キロ足らずには、聖徳太子が物部守屋誅滅を記念して建立したと伝える大聖勝軍寺があり、近くには物部守屋大連墳の遺構がある。
旧大阪中央環状線(旧八尾藤井寺線)沿い西側に位置し、社地や社殿の規模は三社の中で最もこじんまりとしている。
現在、当社は鳥居を入った先に拝殿が、その奥に本殿がある。この様式は、当社を含む三社とも共通している。
【ご利益】
諸願成就、一族・子孫繁栄
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・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
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樟本神社(くすもとじんじゃ)は、大阪府八尾市北木の本にある神社。北木の本樟本神社・北木本樟本神社・北木ノ本樟本神社・北木之本樟本神社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 志紀郡「樟本神社三座」の一座に比定される式内社(小社、鍬靫)。近代社格では村社。
創建の年代は不詳。最初は木本村に三座あったが、北木本が分村し、さらに南木本が分村して、それぞれに一座ずつに分けられたという。当社は北木本に該当する。
御祭神は、古来は木霊とされるが、後、布都大神、饒速日命となった。現在は、当社を含む三社とも布都大神を御祭神とする。
当地が物部氏の旧領地であり、第31代用明天皇の時代に物部守屋が守護神として崇めていた神々を持ち込んだと考えられる。
境内は、小公園になっており、その一角に直径約3メートルほどの池「守屋首洗池」がある。用明天皇2年(587年)の丁未の乱で討たれた物部守屋の首を洗った場所と伝えられる。
当社の北西2キロ弱ほどの所に、物部守屋ゆかりの跡部神社が鎮座する。
当社のほぼ真北1キロ足らずには、聖徳太子が物部守屋誅滅を記念して建立したと伝える大聖勝軍寺があり、近くには物部守屋大連墳の遺構がある。
旧大阪中央環状線(旧八尾藤井寺線)沿い西側に位置し、社地や社殿の規模は三社の中で最もこじんまりとしている。
現在、当社は鳥居を入った先に拝殿が、その奥に本殿がある。この様式は、当社を含む三社とも共通している。
【ご利益】
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