もとは神明社、明治期に八幡と天神を合祀、あばれ獅子頭と神輿
[住所]東京都世田谷区用賀2-16-26
[電話]03-3700-7003
用賀神社(ようがじんじゃ)は、東京都世田谷区用賀にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
もとは神明社(天照皇大神)が鎮座していた地。この神明社の創建年代や由緒などは不詳。明治に入り、この神明社が天祖神社と改称した。
明治41年(1908年)8月11日、村社宇佐神社(八幡。応神天皇・仲哀天皇・神功皇后)、無格社北野神社(天神・天満宮。菅原道真公)を相殿として合祀した。
同時に、村内の無格社巌島神社(市杵島姫命)・稲荷神社(倉稲魂命)・山際神社(大山祇命)を境内に遷座し、同年11月7日、地名にちなみ現社号に改称した。
相殿の宇佐神社は、安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、鶴岡八幡宮を勧請して奉斎されたと伝えられ、用賀村の鎮守だったという。
神明社・宇佐神社・北野神社はいずれも、旧別当寺は真福寺だった。
当社の現在の社殿は、昭和52年(1977年)に、当時入手困難だった木曽檜を、現地に出向いて調達し、造営されたもの。旧社殿は経堂天祖神社に移築された。
例祭は10月の体育の日の前日。大唐破風軒屋根、勾欄造りの神輿が出御して氏子3町会を巡幸する。
昔は「あばれ獅子」と異名をとった一対の獅子頭が使用され、五穀豊穣悪疫退散を祈願して村中を練り歩いたが、現在は神輿に主役の座を奪われている。
神輿やあばれ獅子頭は拝観できる。この獅子頭は、神田明神から移入されたものともいわれる。
現在は玉川神社の兼務社であるため、宮司や神職は常駐していない。
【ご利益】
開運招福、厄災除け、安産、学業・受験合格
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・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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用賀神社(ようがじんじゃ)は、東京都世田谷区用賀にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
もとは神明社(天照皇大神)が鎮座していた地。この神明社の創建年代や由緒などは不詳。明治に入り、この神明社が天祖神社と改称した。
明治41年(1908年)8月11日、村社宇佐神社(八幡。応神天皇・仲哀天皇・神功皇后)、無格社北野神社(天神・天満宮。菅原道真公)を相殿として合祀した。
同時に、村内の無格社巌島神社(市杵島姫命)・稲荷神社(倉稲魂命)・山際神社(大山祇命)を境内に遷座し、同年11月7日、地名にちなみ現社号に改称した。
相殿の宇佐神社は、安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、鶴岡八幡宮を勧請して奉斎されたと伝えられ、用賀村の鎮守だったという。
神明社・宇佐神社・北野神社はいずれも、旧別当寺は真福寺だった。
当社の現在の社殿は、昭和52年(1977年)に、当時入手困難だった木曽檜を、現地に出向いて調達し、造営されたもの。旧社殿は経堂天祖神社に移築された。
例祭は10月の体育の日の前日。大唐破風軒屋根、勾欄造りの神輿が出御して氏子3町会を巡幸する。
昔は「あばれ獅子」と異名をとった一対の獅子頭が使用され、五穀豊穣悪疫退散を祈願して村中を練り歩いたが、現在は神輿に主役の座を奪われている。
神輿やあばれ獅子頭は拝観できる。この獅子頭は、神田明神から移入されたものともいわれる。
現在は玉川神社の兼務社であるため、宮司や神職は常駐していない。
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