通称は一宮さん、知夫村の総鎮守、隔年で歌舞伎要素ある芝居
[住所]島根県隠岐郡知夫村宇都1018
[電話]-
天佐志比古命神社(あまさしひこのみことじんじゃ)は、島根県隠岐郡知夫村宇都にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陰道神 隠岐国 知夫郡「天佐志比古命神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
知夫里の先住者によって祀られたとされる。御祭神は、天佐志比古命(あまさちひこのみこと)。大己貴命の別号とする説があるという。
社伝によれば、御祭神は第31代用明天皇(在位:586年-587年)の御代、新府利の沖の中島(神島)に出現し、中島に59年坐した。
その後、孝徳天皇の白雉4年(653年)8月、新府利東浜詰岩石に上陸した。初めは、新府利(仁夫里)の里に鎮座したという。
『続日本後記』承和15年2月、「奉授隠岐国天佐自比古神従五位下」とある。『隠州神名帳』にも、「従一位天佐自彦大明神」とある。
江戸時代前期の万治2年(1659年)10月、現在地に遷座した。現在は、知夫村の総氏神として崇敬されている。
地元では親しみを込めて「一宮(いっくう)さん」と呼ばれる。一宮神社とも。
例祭は旧暦6月15日。境内には文化財に指定されている芝居小屋があり、例祭の前日夕刻、歌舞伎要素がある地芝居が奉納された。
江戸時代中期の明和年間(1764年-1772年)、知夫湾に鯨が漂着し、その後厄災が続いた。
鯨が神慮を汚したためであるとされ、神慮を慰める方法として、少年の 手踊りを奉納したのが始まり。
江戸時代後期の文政年間(1818年-1831年)には、同村多沢に良作という者が、振付し芝居踊を教えたという。
現在の社殿が整備されたのも、この文政年間の頃とされる。現在は、隔年7月24日・25日に披露されている。
他にも、後醍醐天皇にまつわる腰掛の石や、推恵神社の御祭神である小野検校(おののけんぎょう)にまつわる石がある。
【ご利益】
厄災除け、病気平癒、地域安全
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・島根県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、島根県に鎮座している神社の一覧
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天佐志比古命神社(あまさしひこのみことじんじゃ)は、島根県隠岐郡知夫村宇都にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陰道神 隠岐国 知夫郡「天佐志比古命神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
知夫里の先住者によって祀られたとされる。御祭神は、天佐志比古命(あまさちひこのみこと)。大己貴命の別号とする説があるという。
社伝によれば、御祭神は第31代用明天皇(在位:586年-587年)の御代、新府利の沖の中島(神島)に出現し、中島に59年坐した。
その後、孝徳天皇の白雉4年(653年)8月、新府利東浜詰岩石に上陸した。初めは、新府利(仁夫里)の里に鎮座したという。
『続日本後記』承和15年2月、「奉授隠岐国天佐自比古神従五位下」とある。『隠州神名帳』にも、「従一位天佐自彦大明神」とある。
江戸時代前期の万治2年(1659年)10月、現在地に遷座した。現在は、知夫村の総氏神として崇敬されている。
地元では親しみを込めて「一宮(いっくう)さん」と呼ばれる。一宮神社とも。
例祭は旧暦6月15日。境内には文化財に指定されている芝居小屋があり、例祭の前日夕刻、歌舞伎要素がある地芝居が奉納された。
江戸時代中期の明和年間(1764年-1772年)、知夫湾に鯨が漂着し、その後厄災が続いた。
鯨が神慮を汚したためであるとされ、神慮を慰める方法として、少年の 手踊りを奉納したのが始まり。
江戸時代後期の文政年間(1818年-1831年)には、同村多沢に良作という者が、振付し芝居踊を教えたという。
現在の社殿が整備されたのも、この文政年間の頃とされる。現在は、隔年7月24日・25日に披露されている。
他にも、後醍醐天皇にまつわる腰掛の石や、推恵神社の御祭神である小野検校(おののけんぎょう)にまつわる石がある。
【ご利益】
厄災除け、病気平癒、地域安全
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