焼火山を御神体山とした大山明神、焼火神社と密接な関係
大山神社 島根県隠岐郡西ノ島町美田174
[住所]島根県隠岐郡西ノ島町美田174
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大山神社(おおやまじんじゃ)は、島根県隠岐郡西ノ島町美田にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陰道神 隠岐国 知夫郡「大山神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。御祭神は大山祇命。島前西ノ島の最高峰である焼火山の北麓、大津集落の東に鎮座する。

本来は「大山(おおやま)」と称されていた焼火山を御神体山とし、山自体を祀るものであったとされている。いわゆる神奈備(神名備)。

鎮座地の西方200メートルには、古墳時代中・後期の祭祀遺跡と見られる兵庫遺跡があり、農耕に係わる水または泉の祭祀が行われていたと推測されている。

『隠州神名帳』にも「従三位上 大山明神」と記載されている。

この大山の神は、西ノ島に鎮座する比奈麻治比売命の美しさに魅かれた宇受賀命と、力比べをしたとの伝承が残り、敗退したとされる。

焼火山の神が航海安全の神として崇敬を集めるようになり、また山岳修験の霊地として修験者による雲上寺が開創されると、その別当が当社祢宜職を務めるようになった。

鎌倉時代の建治2年(1276年)、守護佐々木泰清は、当時の祢宜で百姓との対立から立場的に危機に陥った僧慈蓮の祢宜職を安堵した。

また、正中3年(1326年)、同じく守護職で泰清の孫にあたる宗清が、僧蓮浄を「建治の下知に任せ」て祢宜職として社務以下を務めるよう補任した。

しかし、南北朝時代になると、美多庄の代官である西領と公文の道賢が力をつけ、応安2年(1369年)に上掲蓮浄の没後空席となった祢宜職が公文道賢に与えられた。

近世には「焼火山大権現」と呼ばれた雲上寺に包摂されたようで、笠置氏による神主職は置かれたものの、雲上寺が別当として管掌した。

10石あったといわれる社領も実は雲上寺の知行であり、遂には「大山の神」とは焼火権現であるとの認識を生じ、雲上寺と一体化した。

明治になり、雲上寺から離れ、現社号に改称した。明治5年(1872年)、村社に列した。例祭は7月13日。

航海安全の守護神として広く信仰を集めたこの雲上寺が、現在は焼火山の中腹に鎮座する焼火神社である。

拝殿前から石段を下ったところにある鳥居は、江戸時代前期の元禄12年(1699年)の御影石製。石造鳥居では隠岐島で2番目に古い。

なお、式内社「大山神社」はほぼ当社で確定してるが、知夫村仁夫にも当社および式内同名神社があり、時に論社とされる。

【ご利益】
海上安全、大漁満足、事業成功
大山神社 島根県隠岐郡西ノ島町美田
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