景行朝に創祀、日本武尊の褥塚と桜、後に八幡を合祀して六所宮
松尾神社 山梨県甲州市塩山小屋敷2256
[住所]山梨県甲州市塩山小屋敷2256
[電話]0553-33-4362

松尾神社(まつおじんじゃ)は、山梨県甲州市塩山小屋敷にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 山梨郡「松尾神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

式内については、『特選神名牒』によって比定されているが、異説もある。『甲斐国志』では甲斐市中下条に同名の神社に比定している。

社記によれば、第12代景行天皇41年、山城国松尾大社より勧請し、現在地の東方4丁あまり、藤木組の地に創祀したという。以来松尾郷の鎮守として信仰された、

社頭に、日本武尊の褥塚があり、塚上のサクラを褥桜と呼ぶ。読み人知らずの下記の歌が伝わる。
幾万 代々に変らで 花も咲け 君が褥の あとのさくら木
創建当初の御祭神は天照皇太神大山咋命大己貴命の三神だったという。その後、平安時代の貞観元年(859年)11月、社殿の造営が行われた。

康平7年(1064年)8月、甲斐源氏の始祖である新羅三郎義光(源義光)が八幡神、足仲彦命息長足姫命誉田別命の三座を石清水八幡宮より勧請し、現在地に社殿を遷した。

以来、六所神の宮と呼ばれた。ただし、天照皇太神の神明宮も、八幡と同様、後の勧請との説もある。

また、もともと御祭神は6柱で、大山咋命・若山咋命若年神・大己貴命・素盞嗚尊蛙児命だったとも。

戦国時代の永禄6年(1563年)、『恵林寺検地帳』に、六所宮では9年に一度の「大ツクニの祭」とあり、往古の大祭を推察させるが、現在は途絶えて伝わらない。

元亀3年(1572年)、武田氏の一族である於曽左京亮信女が祭礼田として6貫500文を寄進している。その証状が現在伝わっているという。

慶長2年(1597年)、社殿が造営された。江戸時代の朱印社領は3石3斗あまりだった。

社中には二階堂近江守進の金仏が安置されていたが、廃仏毀釈のため破壊された。

明治6年(1873年)、郷社に列した。明治8年(1875年)2月、社殿が焼失、明治9年(1876年)9月、現社号に改称され、明治12年(1879年)6月、社殿が再建された。

昭和51年(1976年)2月、現在社頭に再興され、昭和57年(1982年)、拝殿の屋根を瓦葺から銅板葺きに改修された。例祭は10月1日。

境内には、弁天社・吉備明神・新羅明神・太歳神・子安明神・巻之明神・東照宮・業平社・蚕神社・天神社 など末社12社がある。

また、本殿裏には中世に築かれた土塁跡の遺構がある。

【ご利益】
家内安全、家運興隆、開運招福
松尾神社 山梨県甲州市塩山小屋敷
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