甲斐国造の祖である土本毘古王を奉斎、甲府盆地湖水を「さく」
佐久神社 山梨県甲府市下向山町892
[住所]山梨県甲府市下向山町892
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佐久神社(さくじんじゃ)は、山梨県甲府市下向山町にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 八代郡「佐久神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

社伝によると、第21代雄略天皇2年6月の勧請し、鎮座した。土本毘古王の古墳を大宮山より天神山に改葬し、その跡に建立された。

草創は、第10代崇神天皇8年のことともされる。ただし、土本毘古王をどうとらえるかで、これも変わってくる。

土本毘古王は、第9代開化天皇の孫にあたる、甲斐国造祖の沙本毘古王のこととされる。沙本毘古王が手力雄命を信仰したために、手力雄神とも同一視されたという。

また、土本毘古王は、彦火火出見尊の後裔で、第2代綏靖天皇の勅命を受けて当地向山に赴いたとされる。これが崇神天皇の御代の草創の説の発端か。しかし、これは時代的に矛盾がある。

土本毘古王が沙本毘古王であれば、甲斐国造の祖で、第11代垂仁天皇の頃の人であり、『古事記』でも重要な役割を担っている。

初代神武天皇の祖父である彦火火出見尊の後裔、という言い方も微妙。皇族であれば、誰でも彦火火出見尊の後裔になりえる。

古伝によると、昔、当地甲府盆地が湖沼であった頃、当社御祭神が、南山の磐石を裂き開いて水を疏通し、この地を拓いたことから、佐久明神と称したという。

また、当地の巽の方向にある瀧戸山に蛇が住み、災いをなすので、その蛇の邪気を避くため、その山の方向に矢を放ち、鉾で威したといい、そこで佐久というとも。

上代は、今の地の北東にある古宮という地にあり、その後、社後の山上に遷座した。

戦国時代の天文13年(1544年)8月、時の領主である向山出雲守昌保によって社殿が造営され、現在地に遷されたという。

現在の本殿は嘉永6年(1853年)の造営で、市の文化財に指定されている。明治初年、郷社に列した。

現在は、建御名方命菊理姫命を併せて祀る。例祭は3月21日。

なお、式内社「佐久神社」の論社は他に、笛吹市石和町の当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
地域安全、家内安全、一族・子孫繁栄
佐久神社 山梨県甲府市下向山町
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