日本武尊「建き大丈夫の立つるが如き」、中世に諏訪神を勧請
[住所]山梨県北杜市長坂町大八田6822
[電話]-
建岡神社(たておかじんじゃ)は、山梨県北杜市長坂町大八田にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
古伝によれば、第12代景行天皇40年、日本武尊が東征の際、当地の岡を望み、「建き大丈夫の立つるが如き」と称賛。
そこで、殿舎を建てて、天津神を祀り、建岡と名ずけられたという。建部大社の建部と関係がありそうで興味深い。
『日本三代実録』に記されている、仁和元年(885年)3月27日に正六位上を授かった建岡神は当社のことだという。つまり、国史見在社。
ただし、山梨市の同名神社をこの国史見在社に充てる説がある。
保元元年(1156年)、逸見冠者とも、黒源太とも称される甲斐源氏の祖である源清光が谷戸にいた時、諏訪明神を配祀し、社殿を造営した。
以来、武田家はもとより、徳川家の代々の信仰も篤く、社領の寄進を受けた。なお、現在までに御祭神は建御名方命1柱であり、主神。
日本武尊が奉斎した神名は伝わっていないようだ。
江戸時代後期の文化5年(1808年)、有栖川宮熾仁親王が染筆の額字を奉納して祈願所とした。
以来、皇室との結び付きが深くなり、菊花の紋章の高張堤灯を現在も社頭に掲揚している。
明治になり、郷社に列した。昭和38年(1963年)には高松宮家より系図と筆録の奉納があった。
例祭は5月5日。
【ご利益】
身体壮健、武運長久・勝運
【関連記事】
・国史見在社 - 『延喜式』に先行する六国史に記載のある神社で、式外社を指すことが多い
・山梨県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、山梨県に鎮座している神社の一覧
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建岡神社(たておかじんじゃ)は、山梨県北杜市長坂町大八田にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
古伝によれば、第12代景行天皇40年、日本武尊が東征の際、当地の岡を望み、「建き大丈夫の立つるが如き」と称賛。
そこで、殿舎を建てて、天津神を祀り、建岡と名ずけられたという。建部大社の建部と関係がありそうで興味深い。
『日本三代実録』に記されている、仁和元年(885年)3月27日に正六位上を授かった建岡神は当社のことだという。つまり、国史見在社。
ただし、山梨市の同名神社をこの国史見在社に充てる説がある。
保元元年(1156年)、逸見冠者とも、黒源太とも称される甲斐源氏の祖である源清光が谷戸にいた時、諏訪明神を配祀し、社殿を造営した。
以来、武田家はもとより、徳川家の代々の信仰も篤く、社領の寄進を受けた。なお、現在までに御祭神は建御名方命1柱であり、主神。
日本武尊が奉斎した神名は伝わっていないようだ。
江戸時代後期の文化5年(1808年)、有栖川宮熾仁親王が染筆の額字を奉納して祈願所とした。
以来、皇室との結び付きが深くなり、菊花の紋章の高張堤灯を現在も社頭に掲揚している。
明治になり、郷社に列した。昭和38年(1963年)には高松宮家より系図と筆録の奉納があった。
例祭は5月5日。
【ご利益】
身体壮健、武運長久・勝運
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