日本武尊が造営、源頼義が再興、三男義光以来の崇敬、太々神楽
[住所]山梨県山梨市牧丘町倉科4926
[電話]-
黒戸奈神社(くろとなじんじゃ)は、山梨県山梨市牧丘町倉科にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 山梨郡「黒戸奈神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
社伝によれば、第12代景行天皇の御宇、日本武尊が東征の際、当国鎮護のため宮殿を造営して創祀。御祭神は素盞嗚尊。
飛鳥時代末期、文武天皇の大宝2年(702年)、勅を奉じて黒戸奈と号した。別名は唐土大明神とも。
中古、社号を黒尸奈と称していたという説がある。『延喜式神名帳』は「黒尸奈(くろしな)」の誤字で、倉科(くらしな)鎮座の当社を指すという。
平安時代中期の康平6年(1063年)、源頼義の心願により宮殿が造営されたという。
その後、頼義の三男、新羅三郎義光(源義光。1045年-1127年)以来、鎮護神として崇敬を受けた。武田信玄の宿将馬場美濃守信春も崇敬し、それに基づく太々神楽が今に伝わる。
江戸時代初期の慶長8年(1603年)3月1日、徳川家康より国家祈念社中の造営として、朱印神領2石8斗8升が寄進された。
例祭は4月12日。太々神楽が奉納される。天岩戸にまつわるもので、古典的な優雅な舞で、万民の平和を祈り、五穀豊穣を祈願する。
馬場信春が当社に多く寄進していたため、この神楽は、一説には信玄の戦勝出陣神楽ともいわれている。
境内には、昭和9年(1934年)建立の甲斐狛犬が安置されている。境内社に、諏訪・蚕影・子安などの各社がある。
なお、式内社「黒戸奈神社」の論社は他に、いずれも甲府市で、黒平町の当社および式内同名神社、平瀬町の細草神社、宝の穴切大神社がある。
【ご利益】
武運長久・勝運、厄災除け
【関連記事】
・山梨県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、山梨県に鎮座している神社の一覧
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黒戸奈神社(くろとなじんじゃ)は、山梨県山梨市牧丘町倉科にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 山梨郡「黒戸奈神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
社伝によれば、第12代景行天皇の御宇、日本武尊が東征の際、当国鎮護のため宮殿を造営して創祀。御祭神は素盞嗚尊。
飛鳥時代末期、文武天皇の大宝2年(702年)、勅を奉じて黒戸奈と号した。別名は唐土大明神とも。
中古、社号を黒尸奈と称していたという説がある。『延喜式神名帳』は「黒尸奈(くろしな)」の誤字で、倉科(くらしな)鎮座の当社を指すという。
平安時代中期の康平6年(1063年)、源頼義の心願により宮殿が造営されたという。
その後、頼義の三男、新羅三郎義光(源義光。1045年-1127年)以来、鎮護神として崇敬を受けた。武田信玄の宿将馬場美濃守信春も崇敬し、それに基づく太々神楽が今に伝わる。
江戸時代初期の慶長8年(1603年)3月1日、徳川家康より国家祈念社中の造営として、朱印神領2石8斗8升が寄進された。
例祭は4月12日。太々神楽が奉納される。天岩戸にまつわるもので、古典的な優雅な舞で、万民の平和を祈り、五穀豊穣を祈願する。
馬場信春が当社に多く寄進していたため、この神楽は、一説には信玄の戦勝出陣神楽ともいわれている。
境内には、昭和9年(1934年)建立の甲斐狛犬が安置されている。境内社に、諏訪・蚕影・子安などの各社がある。
なお、式内社「黒戸奈神社」の論社は他に、いずれも甲府市で、黒平町の当社および式内同名神社、平瀬町の細草神社、宝の穴切大神社がある。
【ご利益】
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