源義光が造営、手植えの桜、信玄が祈願を命じた武田氏ゆかり
[住所]山梨県韮崎市大草町上條東割790
[電話]-
南宮大神社(なんぐうだいじんじゃ)は、山梨県韮崎市大草町上條東割にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 巨麻郡「神部神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創建年代は不詳。諏訪明神すなわち建御名方命を主祭神とし、大己貴命・事代主命・金山彦命を配祀する、甘利郷きっての大社だったという。
社名は南宮大社を連想させ、金山彦命がもともとの御祭神で、後述の武田氏の崇敬を経て、諏訪神に変わった可能性がある。
社記によれば、新羅三郎義光(源義光)が、甲斐任国の時崇敬して社壇を造営したという。
また、武田太郎信義、その嫡男一条次郎忠頼も篤く崇敬し、武田一条氏が武川地方に封ぜられると、当社を産土神として崇敬した。
また、その支族の武川衆諸氏も協力して当社に奉仕したという。
武田信玄は当社の禰宜に対し、府中八幡宮に2日2晩参篭し、武田家の武運長久と領内安穏を祈祷するよう命じたという。
徳川家は社領16石8斗、社地4600坪を寄進したのは、武田家の例に倣ったもの。
現存する社殿・建造物は、本殿・拝殿・神楽殿・随神門・石鳥居などで、境内地も往時と比べて縮小されて、1665坪となっている。
戦前までは、境内に新羅三郎お手植と伝えられる桜の巨木があり、植物学上、全国に比類のない珍種とされていたが、枯死した。
例祭は10月17日。式内論社としての根拠は不明だが、有力ではないようだ。
式内社「神部神社」の論社は他に、北杜市・南アルプス市下宮地・南アルプス市寺部の当社および式内同名神社、北杜市の熱那神社・白山神社がある。
また、山梨郡の式内社にも「神部神社」があり、甲州市・山梨市に式内同名神社がある他、笛吹市春日居町の賀茂春日神社が論社。
【ご利益】
武運長久・勝運、産業振興、事業成功
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・山梨県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、山梨県に鎮座している神社の一覧
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南宮大神社(なんぐうだいじんじゃ)は、山梨県韮崎市大草町上條東割にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 巨麻郡「神部神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創建年代は不詳。諏訪明神すなわち建御名方命を主祭神とし、大己貴命・事代主命・金山彦命を配祀する、甘利郷きっての大社だったという。
社名は南宮大社を連想させ、金山彦命がもともとの御祭神で、後述の武田氏の崇敬を経て、諏訪神に変わった可能性がある。
社記によれば、新羅三郎義光(源義光)が、甲斐任国の時崇敬して社壇を造営したという。
また、武田太郎信義、その嫡男一条次郎忠頼も篤く崇敬し、武田一条氏が武川地方に封ぜられると、当社を産土神として崇敬した。
また、その支族の武川衆諸氏も協力して当社に奉仕したという。
武田信玄は当社の禰宜に対し、府中八幡宮に2日2晩参篭し、武田家の武運長久と領内安穏を祈祷するよう命じたという。
徳川家は社領16石8斗、社地4600坪を寄進したのは、武田家の例に倣ったもの。
現存する社殿・建造物は、本殿・拝殿・神楽殿・随神門・石鳥居などで、境内地も往時と比べて縮小されて、1665坪となっている。
戦前までは、境内に新羅三郎お手植と伝えられる桜の巨木があり、植物学上、全国に比類のない珍種とされていたが、枯死した。
例祭は10月17日。式内論社としての根拠は不明だが、有力ではないようだ。
式内社「神部神社」の論社は他に、北杜市・南アルプス市下宮地・南アルプス市寺部の当社および式内同名神社、北杜市の熱那神社・白山神社がある。
また、山梨郡の式内社にも「神部神社」があり、甲州市・山梨市に式内同名神社がある他、笛吹市春日居町の賀茂春日神社が論社。
【ご利益】
武運長久・勝運、産業振興、事業成功
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