倭建命が創祀した倭文神社、武田信玄が再建して諏訪神を勧請
[住所]山梨県甲斐市宇津谷1016
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諏訪大神社(すわだいじんじゃ)は、山梨県甲斐市宇津谷にある神社。宇津之谷諏訪神社、正式には穂坂惣社拾五社大明神宇津之谷諏訪大神社だという。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 巨麻郡「倭文神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
第12代景行天皇の時代、皇子である倭建命が甲斐に入り、北山・武川・逸見の賊を平定して、賊徒が再び起たぬよう、倭文神である建葉槌命を祀ったのが始まりだという。
倭文神社と同時に、伊弉諾大神・ 伊弉冊大神・天照皇大神・月読媛大神・素戔嗚大神を併せ祀った。保阪明神とも呼ばれたという。
倭建命が、藤塚の西南の地に吉備彦命・大伴武日命と警護の兵とともに、一時期を過ごしたであろう地を初在家(現 初座池)と称し、地名が今に残る。
奥殿に祀られている石神倭文神社の裏に平安時代初期の大同2年(807年)の紀年が見られる。
いわゆる御神体の石棒のことで、縄文時代中期に作られたものを土中から掘り起こし、祀ったものとされる。
鎌倉時代前期の建保5年(1217年)、修復の記録が残る。また、戦国時代の元亀2年(1571年)、武田信玄による再建の棟札が残る。
その武田信玄が、武田家の守護神、諏訪大明神と庄内の神々を併せ祀り、拾五社大明神(十五社明神、十五所明神)と称された。
天正10年3月(1583年)、天正壬午の乱により兵火にかかり、衰微したという。
武田信玄より社領の寄進があったが、その朱印は今は行方不明だという。江戸期には社領1石9斗あまり、社地5460坪の朱印地があった。
慶長8年(1603年)の3代将軍徳川家光、貞享2年(1685年)の5代将軍徳川綱吉、享保3年(1718年)の8代将軍徳川吉宗など、多くの朱印状が残る。
上記のように、多くの神々が祀られているはずだが、現在の御祭神は建御名方命1柱とされる。例祭は10月16日。
なお、式内社「倭文神社」の論社は他に、いずれも韮崎市穂坂町に鎮座する倭文神社と本宮倭文神社がある。
【ご利益】
武運長久・勝運、身体壮健、健康長寿

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『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 巨麻郡「倭文神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
第12代景行天皇の時代、皇子である倭建命が甲斐に入り、北山・武川・逸見の賊を平定して、賊徒が再び起たぬよう、倭文神である建葉槌命を祀ったのが始まりだという。
倭文神社と同時に、伊弉諾大神・ 伊弉冊大神・天照皇大神・月読媛大神・素戔嗚大神を併せ祀った。保阪明神とも呼ばれたという。
倭建命が、藤塚の西南の地に吉備彦命・大伴武日命と警護の兵とともに、一時期を過ごしたであろう地を初在家(現 初座池)と称し、地名が今に残る。
奥殿に祀られている石神倭文神社の裏に平安時代初期の大同2年(807年)の紀年が見られる。
いわゆる御神体の石棒のことで、縄文時代中期に作られたものを土中から掘り起こし、祀ったものとされる。
鎌倉時代前期の建保5年(1217年)、修復の記録が残る。また、戦国時代の元亀2年(1571年)、武田信玄による再建の棟札が残る。
その武田信玄が、武田家の守護神、諏訪大明神と庄内の神々を併せ祀り、拾五社大明神(十五社明神、十五所明神)と称された。
天正10年3月(1583年)、天正壬午の乱により兵火にかかり、衰微したという。
武田信玄より社領の寄進があったが、その朱印は今は行方不明だという。江戸期には社領1石9斗あまり、社地5460坪の朱印地があった。
慶長8年(1603年)の3代将軍徳川家光、貞享2年(1685年)の5代将軍徳川綱吉、享保3年(1718年)の8代将軍徳川吉宗など、多くの朱印状が残る。
上記のように、多くの神々が祀られているはずだが、現在の御祭神は建御名方命1柱とされる。例祭は10月16日。
なお、式内社「倭文神社」の論社は他に、いずれも韮崎市穂坂町に鎮座する倭文神社と本宮倭文神社がある。
【ご利益】
武運長久・勝運、身体壮健、健康長寿

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