塚原村御崎明神? 武田氏居館の守護神、家康が観覧した相撲
[住所]山梨県甲府市美咲2-10-34
[電話]055-252-4519
御崎神社(みさきじんじゃ)は、山梨県甲府市美咲にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『式内社調査報告』によれば、「塚原村御崎明神」が『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 巨麻郡「宇波刀神社」に比定される式内社(小社)の論社。
塚原村は、現在の市内塚原町のことだが、御崎と名の付く神社はない。市内全域で広げても、塚原町の南1キロほどに鎮座する当社しかない。
ただし、当社の由緒から考えて、式内論社とするのは難しいとされる。
当社は、甲斐源氏の武田氏が石和に居を構えた時、その居館内に祀られたという。石和八幡宮の由緒から、鎌倉時代初期の建久3年(1192年)以降のことと考えられる。
御祭神は、大国主神・保食神・和産霊神。
戦国時代の永正16年(1519年)6月、武田信虎が石和から躑躅ヶ崎に居を移し、築城したため、その三の郭内に神殿を建立されて遷座した。
天正3年(1575年)4月、城外の西南、塔岩地内に社殿が再建されたが、天正10年(1582年)3月の天正壬午の乱により社殿が大破した。
徳川家康が甲斐巡視の際、当社に参拝し、御崎大相撲を上覧、これより御崎大相撲は甲斐国三相撲の一つとして有名になった。
文禄3年(1594年)、甲府城築城の際、現在地に神領を賜り、遷座、甲府城の守りと甲府北部一帯の氏神と定められた。
社殿、随神門なども戦火を逃れ、現在の拝殿は昭和5年(1930年)に改築されたもの。例祭は9月19日。
なお、式内社「宇波刀神社」の論社は他に、北杜市・甲府市・韮崎市に式内同名神社がある。
また、八代郡の式内社に同音の「表門神社」があり、市川三郷町と甲府市の式内同名神社、甲府市の五社神社、市川三郷町の正一位浅間神社がそれぞれ論社。
さらに、美濃国安八郡にも同名の式内社があり、安八町の「うばと」と神戸町の「うわと」がそれぞれ論社。
【ご利益】
五穀豊穣、商売繁盛、事業成功
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御崎神社(みさきじんじゃ)は、山梨県甲府市美咲にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『式内社調査報告』によれば、「塚原村御崎明神」が『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 巨麻郡「宇波刀神社」に比定される式内社(小社)の論社。
塚原村は、現在の市内塚原町のことだが、御崎と名の付く神社はない。市内全域で広げても、塚原町の南1キロほどに鎮座する当社しかない。
ただし、当社の由緒から考えて、式内論社とするのは難しいとされる。
当社は、甲斐源氏の武田氏が石和に居を構えた時、その居館内に祀られたという。石和八幡宮の由緒から、鎌倉時代初期の建久3年(1192年)以降のことと考えられる。
御祭神は、大国主神・保食神・和産霊神。
戦国時代の永正16年(1519年)6月、武田信虎が石和から躑躅ヶ崎に居を移し、築城したため、その三の郭内に神殿を建立されて遷座した。
天正3年(1575年)4月、城外の西南、塔岩地内に社殿が再建されたが、天正10年(1582年)3月の天正壬午の乱により社殿が大破した。
徳川家康が甲斐巡視の際、当社に参拝し、御崎大相撲を上覧、これより御崎大相撲は甲斐国三相撲の一つとして有名になった。
文禄3年(1594年)、甲府城築城の際、現在地に神領を賜り、遷座、甲府城の守りと甲府北部一帯の氏神と定められた。
社殿、随神門なども戦火を逃れ、現在の拝殿は昭和5年(1930年)に改築されたもの。例祭は9月19日。
なお、式内社「宇波刀神社」の論社は他に、北杜市・甲府市・韮崎市に式内同名神社がある。
また、八代郡の式内社に同音の「表門神社」があり、市川三郷町と甲府市の式内同名神社、甲府市の五社神社、市川三郷町の正一位浅間神社がそれぞれ論社。
さらに、美濃国安八郡にも同名の式内社があり、安八町の「うばと」と神戸町の「うわと」がそれぞれ論社。
【ご利益】
五穀豊穣、商売繁盛、事業成功
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