鎌田氏・武田氏の崇敬、鎌田総社、平安期以来の8躯の御神像
宇波刀神社 山梨県甲府市宮原町1265
[住所]山梨県甲府市宮原町1265
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宇波刀神社(うわとじんじゃ)は、山梨県甲府市宮原町にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 巨麻郡「宇波刀神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

創建年代は不詳。平安時代の寛治7年(1093年)、新羅三郎義光(源義光)が再建したと伝わる。

この源義光の再建が、当社の創建であるとの見方もある。そうであれば、当社の創始は『延喜式神名帳』の後となる。

なお、源義光との関わりは、北杜市の同名神社とも共通している。

また、保元元年(1156年)、鎌田正清が再建し、以降は鎌田氏との関係を深め、鎌田庄167ヶ村の惣社、氏神とされたという。

武田氏の時代になり、その全盛期、武田信虎の頃には源氏の氏神である石清水八幡宮にあやかり、八幡宮と改称した。

『甲斐国志』に「八幡宮 宮原村 鎌田總社 宇波刀神社」とあり、現在までに御祭神は、応神天皇仲哀天皇神功皇后の八幡三神。

総社として、周辺の神社の合祀を進めたことで、宇波刀神もいつしか加えられ、現社号に定まっていったという説がある。

江戸時代になっても、代々の徳川家将軍より朱印状を賜り、宮原・堀内・高室・ 関口・古市場・円満寺・窪中島・極楽寺・中盾・西新居・紙漉・阿原・押越の鎌田12ヶ村の総鎮守だったという。

明治になり、郷社に列した。例祭は10月17日。境内社に、大神社・義清社があるという。

平安時代の男神立像・女神立像・男神坐像、鎌倉時代の男神坐像、室町時代の男神坐像、平安時代の武装形神像、室町時代の随神坐像二躯の計8躯が安置されている。

男神立像と女神立像は、像高や目の表現に共通性があり、一対で制作されたと推定されてる。平安期まで遡る女神像は県内では珍しいという。市指定有形文化財。

なお、式内社「宇波刀神社」の論社は他に、先の北杜市と、韮崎市に当社および式内同名神社、甲府市美咲の御崎神社がある。

また、八代郡の式内社に同音の「表門神社」があり、市川三郷町甲府市の式内同名神社、甲府市の五社神社、市川三郷町の正一位浅間神社がそれぞれ論社。

さらに、美濃国安八郡にも同名の式内社があり、安八町の「うばと」と神戸町の「うわと」がそれぞれ論社。

【ご利益】
厄災除け、地域安全、家内安全、安産
宇波刀神社 山梨県甲府市宮原町
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