日本の養蚕製糸の発祥とも、明治期に合祀されるが昭和に復社
田坐神社 大阪府松原市田井城5-11
[住所]大阪府松原市田井城5-11
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田坐神社(たざじんじゃ)は、大阪府松原市田井城にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 丹比郡「田坐神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創建年代は不詳。境内には由来を彫った石碑がある。これによると第16代仁徳天皇の行幸の際、綾織を見て、仮宮を営み、田坐と称されるようになったという。

日本の養蚕製糸の発祥の地とされる。第21代雄略天皇14年、呉織漢織に携わる人々が呉の国より渡来、住吉浦に泊り、勅してこの丹比の田坐の地に置かれた。

この地で桑を植え蚕を飼い絹糸を造ったという。これを所管したのが依羅宿禰とされる。

『新撰姓氏録』に依羅宿禰は「日下部宿祢同祖、彦坐命の後、依羅連は饒速日命十二世孫、壊大連の後也」とある。関連して、大阪市東住吉区には阿麻美許曾神社がある。

御祭神は依羅宿禰ともされるが、呉服漢織の女神とも。呉服漢織の女神について、時代は若干ずれるが、池田市に伊居太神社呉服神社がある。三重県鈴鹿市には久留真神社がある。

田坐神について、『日本三代実録』貞観4年(862)4月の条に「無位田坐神に従五位下を 授く」とあり、つづいて同年5月条に「田坐神を官社に列す」とある。

付近は、平安時代後期に荘園化して田井荘とよばれ、京都の石清水八幡宮領となった。以降、村人の間で、当社は八幡神を祀るとの認識が広がった。

江戸時代後期、伴信友は『渡会氏神名帳考証』において、当社御祭神を稲霊豊宇気姫(豊宇気毘売神)ではないかとしている。

また、信友は、天武天皇10年(681年)4月に連を賜った田井直吉麻呂がおり、その田井氏の奉斎した神社ではないかとも推測した。

明治になり、村社に列するが、明治41年(1908年)3月、上田の柴籬神社に合祀された。しかし昭和60年(1985年)4月に遷座祭が行われ、再び旧社地に祀られた。

平成9年(1997年)9月、本殿の新築にともない境内も整備され、田井城の氏神として崇敬されている。古い街並が残る田井城5丁目、西接して浄土真宗の陽雲寺が建っている。

【ご利益】
五穀豊穣、事業成功、地域安全
田坐神社 大阪府松原市田井城
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