反正天皇の宮跡、仁賢天皇の勅命により創建、歯の神で8月に祭典
[住所]大阪府松原市上田7-12-22
[電話]072-331-2138
柴籬神社(しばがきじんじゃ)は、大阪府松原市上田にある神社。近代社格では村社。丹比柴籬神社とも。参拝すれば、「柴籬宮」などとある御朱印を頂ける。
第18代反正天皇が即位した後、都を難波から河内の丹比(たじひ)に移し、丹比柴籬宮を造営した。
それが当社あたりにあったと伝えられる。当社南門には「反正天皇柴籬宮址」、西鳥居前には「丹比柴籬宮址」の石碑が府によって建てられている。
現在のところ、宮の存在を証明する遺構などは見つかっていないが、付近一帯には極殿山・学所・反正山(はじやま)などの伝承地が多い。
丹比柴籬宮や反正天皇に関しては、堺市美原区多治井の丹比神社に関連伝承が色濃く残る。
当社は第24代仁賢天皇の勅命により創建された。御祭神は、反正天皇。
平安時代の貞観6年(864年)には、奉幣を賜り、観応2年(1351年)には足利直義が祈願参詣し、戦国時代の河内国守護畠山氏も信仰篤く当社を保護したという。
慶長年間(1596年-1615年)に兵火により焼失、その後寛永年間(1624年-1645年)に観念寺2代目住持覚夢によって再建された。
江戸時代には京都御所より菊花御紋章一連が下賜され、浮世草子で名高い井原西鶴も再三参拝しており、当宮の狂歌を数々残している。
現在、境内には西鶴の「柴籬宮 むくけうへてゆふ 柴垣の都哉」という句碑が建てられている。
以前までは広庭神社とも、天満宮(菅原道真公)とも称されたという。
明治になり、村社に列し、旧別当の観音寺は廃寺、明治22年(1889年)には神饌幣帛供進社に指定された。
反正天皇は「瑞歯別尊」と呼ばれ、美しい歯並びの伝承があるため、当社は現在、歯の神様として信仰されている。
なお、観音寺の釣鐘は上田の願正寺に移り、本尊である十一面観世音は上田の観音堂に移転した。現在の南門は、観音寺のものを援用している。
明治41年(1908)3月、田坐神社を合祀した。この田坐神社は、『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 丹比郡「田坐神社」に比定される式内社(小社)。
第21代雄略天皇14年、呉織漢織に携わる人々が呉の国より渡来、住吉浦に泊り、勅して丹比の田坐の地に置かれた。
この地で桑を植え蚕を飼い絹糸を造ったという。これを所管したのが依羅宿禰とされる。道真とともに、現在、当社の相殿神である。
『新撰姓氏録』に依羅宿禰は「日下部宿祢同祖、彦坐命の後、依羅連は饒速日命十二世孫、壊大連の後也」とある。関連して、大阪市東住吉区には阿麻美許曾神社がある。
昭和60年(1985)4月に遷座祭が行われ、田坐神社は再び旧社地に祀られている。
当社の例祭は10月9日・10日で、秋祭。子供相撲が奉納される。また、7月19日・20日が夏祭で、境内に露店が並び、湯神楽神事が行われる。
8月8日には歯神社祭で、府下唯一の歯の祭典。境内に400灯の庭灯を設置し、ローソクの灯りで幽玄の世界を現出させる。
また、当社は、阿保神社・阿麻美許曾神社・我堂八幡宮・布忍神社・屯倉神社とともに、1月1日から1月15日まで行われる開運松原六社参りの一社。
【ご利益】
歯の神、身体壮健、健康長寿など(公式HP)
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柴籬神社(しばがきじんじゃ)は、大阪府松原市上田にある神社。近代社格では村社。丹比柴籬神社とも。参拝すれば、「柴籬宮」などとある御朱印を頂ける。
第18代反正天皇が即位した後、都を難波から河内の丹比(たじひ)に移し、丹比柴籬宮を造営した。
それが当社あたりにあったと伝えられる。当社南門には「反正天皇柴籬宮址」、西鳥居前には「丹比柴籬宮址」の石碑が府によって建てられている。
現在のところ、宮の存在を証明する遺構などは見つかっていないが、付近一帯には極殿山・学所・反正山(はじやま)などの伝承地が多い。
丹比柴籬宮や反正天皇に関しては、堺市美原区多治井の丹比神社に関連伝承が色濃く残る。
当社は第24代仁賢天皇の勅命により創建された。御祭神は、反正天皇。
平安時代の貞観6年(864年)には、奉幣を賜り、観応2年(1351年)には足利直義が祈願参詣し、戦国時代の河内国守護畠山氏も信仰篤く当社を保護したという。
慶長年間(1596年-1615年)に兵火により焼失、その後寛永年間(1624年-1645年)に観念寺2代目住持覚夢によって再建された。
江戸時代には京都御所より菊花御紋章一連が下賜され、浮世草子で名高い井原西鶴も再三参拝しており、当宮の狂歌を数々残している。
現在、境内には西鶴の「柴籬宮 むくけうへてゆふ 柴垣の都哉」という句碑が建てられている。
以前までは広庭神社とも、天満宮(菅原道真公)とも称されたという。
明治になり、村社に列し、旧別当の観音寺は廃寺、明治22年(1889年)には神饌幣帛供進社に指定された。
反正天皇は「瑞歯別尊」と呼ばれ、美しい歯並びの伝承があるため、当社は現在、歯の神様として信仰されている。
なお、観音寺の釣鐘は上田の願正寺に移り、本尊である十一面観世音は上田の観音堂に移転した。現在の南門は、観音寺のものを援用している。
明治41年(1908)3月、田坐神社を合祀した。この田坐神社は、『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 丹比郡「田坐神社」に比定される式内社(小社)。
第21代雄略天皇14年、呉織漢織に携わる人々が呉の国より渡来、住吉浦に泊り、勅して丹比の田坐の地に置かれた。
この地で桑を植え蚕を飼い絹糸を造ったという。これを所管したのが依羅宿禰とされる。道真とともに、現在、当社の相殿神である。
『新撰姓氏録』に依羅宿禰は「日下部宿祢同祖、彦坐命の後、依羅連は饒速日命十二世孫、壊大連の後也」とある。関連して、大阪市東住吉区には阿麻美許曾神社がある。
昭和60年(1985)4月に遷座祭が行われ、田坐神社は再び旧社地に祀られている。
当社の例祭は10月9日・10日で、秋祭。子供相撲が奉納される。また、7月19日・20日が夏祭で、境内に露店が並び、湯神楽神事が行われる。
8月8日には歯神社祭で、府下唯一の歯の祭典。境内に400灯の庭灯を設置し、ローソクの灯りで幽玄の世界を現出させる。
また、当社は、阿保神社・阿麻美許曾神社・我堂八幡宮・布忍神社・屯倉神社とともに、1月1日から1月15日まで行われる開運松原六社参りの一社。
【ご利益】
歯の神、身体壮健、健康長寿など(公式HP)
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