天照大神が鳳凰として顕現、櫻井神社に合祀、「上神谷のこおどり」
[住所]大阪府堺市南区鉢ヶ峯寺
[電話]072-297-0043 - 櫻井神社
国神社(くにじんじゃ)は、大阪府堺市南区鉢ヶ峯寺にある神社、あるいは神社跡。現在は、櫻井神社に合祀されている。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 大鳥郡「国神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
第11代垂仁天皇8年、天照大神が鳳凰の形を現し、襲の峰に降臨したと伝わる。一説に垂仁天皇28年とも。
第12代景行天皇の御宇、降臨の跡で奉斎して社殿を創建したという。これが当社の創始である。
以来、当地は神の郷と呼ばれるようになり、現在の上神谷(にわだに)も当社やその縁起に由来する。
景行天皇55年、神鳳が曽抄の里に遷座したという。これが大鳥神社であるという。曽抄の里は不詳だが、現在の大鳥大社、あるいは大鳥美波比神社のことか。
であれば、当社は大鳥大社の元宮を主張していることになる。時期的な齟齬はなく、鳳凰と白鳥になった日本武尊というつながりはある。
難波の上町台地先端に孝徳天皇が難波の宮を造った。難波長柄豊碕宮である。第16代仁徳天皇の高津宮も同じ場所だったともされる。
『日本の古代9 都城の生態』で、千田稔は「この難波宮の中心線から南下する難波大道が造られているが、その延長上に当社が鎮座する」と指摘している。
後に、御祭神は、金峯権現、熊野権現、白山権現、山王権現の四権現を合祀した。
神宮寺は法道寺。法道仙人が当山に来て飛鉢の法を修し、その霊験が著しかったので天皇の耳に達し、天智天皇9年(670年)、勅願寺として開創された。
もと閑谷院長福寺と称され、多数の寺院を擁した大寺院だった。享保元年(1716年)、8代将軍徳川吉宗の嫡子が長福丸と名付けられて、法道寺と寺号が改められた。
例祭は10月5日で、当日朝、境内において、鉢ヶ峯保存会により「鼓踊 こをどり」が奉納された。
いわゆる「上神谷のこおどり」で、国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財選択として登録されている。
かつて和泉地方に多く見られた雨乞い、雨礼踊りとして行われたもので、秋祭りの芸能としても毎年行われた。
鬼が数十本の紙花(ヒメコ)を挿して背負った竹籠や、ここで歌われる踊り歌などに、室町時代の風流踊りの影響がうかがえる。
明治43年(1910年)、当社は片蔵の櫻井神社に合祀された。「上神谷のこおどり」は現在、毎年10月第1日曜日に櫻井神社で演じられる。
御神体として、神殿の奥深くに男神像、菩薩形像、明王形像の三体の神像が祀られていたという。現在は、合祀とともに、これらの神像も櫻井神社に移された。
現在当社地は古い鳥居や本殿が残されているのみ。祭祀は行われていないか。
なお、式内社「国神社」の論社は他に、櫻井神社の境内社の國神社がある。どちらにしろ、櫻井神社が式内社「国神社」の後継社となる。
【ご利益】
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国神社(くにじんじゃ)は、大阪府堺市南区鉢ヶ峯寺にある神社、あるいは神社跡。現在は、櫻井神社に合祀されている。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 大鳥郡「国神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
第11代垂仁天皇8年、天照大神が鳳凰の形を現し、襲の峰に降臨したと伝わる。一説に垂仁天皇28年とも。
第12代景行天皇の御宇、降臨の跡で奉斎して社殿を創建したという。これが当社の創始である。
以来、当地は神の郷と呼ばれるようになり、現在の上神谷(にわだに)も当社やその縁起に由来する。
景行天皇55年、神鳳が曽抄の里に遷座したという。これが大鳥神社であるという。曽抄の里は不詳だが、現在の大鳥大社、あるいは大鳥美波比神社のことか。
であれば、当社は大鳥大社の元宮を主張していることになる。時期的な齟齬はなく、鳳凰と白鳥になった日本武尊というつながりはある。
難波の上町台地先端に孝徳天皇が難波の宮を造った。難波長柄豊碕宮である。第16代仁徳天皇の高津宮も同じ場所だったともされる。
『日本の古代9 都城の生態』で、千田稔は「この難波宮の中心線から南下する難波大道が造られているが、その延長上に当社が鎮座する」と指摘している。
後に、御祭神は、金峯権現、熊野権現、白山権現、山王権現の四権現を合祀した。
神宮寺は法道寺。法道仙人が当山に来て飛鉢の法を修し、その霊験が著しかったので天皇の耳に達し、天智天皇9年(670年)、勅願寺として開創された。
もと閑谷院長福寺と称され、多数の寺院を擁した大寺院だった。享保元年(1716年)、8代将軍徳川吉宗の嫡子が長福丸と名付けられて、法道寺と寺号が改められた。
例祭は10月5日で、当日朝、境内において、鉢ヶ峯保存会により「鼓踊 こをどり」が奉納された。
いわゆる「上神谷のこおどり」で、国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財選択として登録されている。
かつて和泉地方に多く見られた雨乞い、雨礼踊りとして行われたもので、秋祭りの芸能としても毎年行われた。
鬼が数十本の紙花(ヒメコ)を挿して背負った竹籠や、ここで歌われる踊り歌などに、室町時代の風流踊りの影響がうかがえる。
明治43年(1910年)、当社は片蔵の櫻井神社に合祀された。「上神谷のこおどり」は現在、毎年10月第1日曜日に櫻井神社で演じられる。
御神体として、神殿の奥深くに男神像、菩薩形像、明王形像の三体の神像が祀られていたという。現在は、合祀とともに、これらの神像も櫻井神社に移された。
現在当社地は古い鳥居や本殿が残されているのみ。祭祀は行われていないか。
なお、式内社「国神社」の論社は他に、櫻井神社の境内社の國神社がある。どちらにしろ、櫻井神社が式内社「国神社」の後継社となる。
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