鎌倉時代からの神域、江戸後期の旧拝殿や力石、江戸期建造の神輿
[住所]東京都練馬区豊玉南2-15-5
[電話]03-3991-2102

氷川神社(ひかわじんじゃ)は、東京都練馬区豊玉南にある神社。豊玉氷川神社とも。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建年代は不詳。もとは近隣に有名な大スギが社殿の後ろに2株あり、古損のため、昭和12年(1937年)、昭和20年(1945年)に伐採された。

その際、年輪がそれぞれ700年、600年あまりを数えたので、当社の神域が鎌倉時代の開創となることが明らかになった。

武蔵国一宮である大宮氷川神社の御分霊を勧請したという。ただし、もともとは現在境内社である北野神社(北野天満神社。菅原道真公)が最も古い主神だったという。

次いで須賀神社(須佐之男命)が主神となり、その後時期は明らかでないが氷川神社(素戔嗚尊)が主神になった。

『新編武蔵風土記稿』中荒井村の項に「氷川社、村の鎮守なり。例祭9月18日。正覚院持。末社牛頭天王、天神、稲荷」とある。

明治5年(1872年)、村社に列した。

境内石造物では、稲荷神社(宇気母智命)前に天明4年(1784年)の、北野天満神社前に文化13年(1816年)の、それぞれ水盤がある。

社殿は須賀神社の上屋を本殿とし、昭和3年(1928年)に建築された。その際、もとの拝殿は移築して神楽殿とした。

この旧拝殿は江戸時代後期の建築で、昭和59年(1984年)、新たに神楽殿が造られると、絵馬堂として使われ、今は額殿と呼ばれている。

力石が8個あり、35貫目などの陰刻がある。他に正徳元年(1711年)と正徳5年(1715年)の笠付庚申塔がある。

この旧拝殿の額殿と、力石が区の文化財となっている。

他に、日露戦役従軍記念碑は明治39年(1906年)、須賀神社敷石記念碑は大正5年(1916年)、三峯神社鳥居建設記念碑は大正12年(1923年)、社殿改築記念碑は昭和3年。

須賀神社の祭礼は最近まで天王様の祭りと言われ、江戸時代の終わりに作られたと言われる神輿が出て、近郷近在から多くの人が集まったという。

現在は6月15日に行われている。神輿庫には本社と六町会の神輿がある。2年に一度、西暦偶数年の9月に連合渡御がある。

他の境内社に、三峯神社(伊弉諾神伊弉冉神)がある。境内樹木は、幹回り2.6メートルのカヤの大樹をはじめ、イチョウ、イヌシデ、サクラがある。

ちなみに、地名の豊玉(とよたま)は、明治開校の学校が北豊島郡と東多摩郡にまたがっていたために、その際命名されたもので、豊玉姫命や、豊玉姫命を祀る神社などに由来するものではない。

なお、当社は中村八幡神社などを兼務している。

【ご利益】
厄災除け、学業・受験合格、事業成功、夫婦和合
氷川神社 東京都練馬区豊玉南
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