室町期に霊夢、家光が雉子宮と命名、多数露店の例祭は10月上旬
[住所]東京都品川区東五反田1-2-33
[電話]03-3441-2331

雉子神社(きじじんじゃ)は、東京都品川区東五反田にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

社伝によれば、第12代景行天皇40年の創立という。ただし、否定的な見解も多い。もとは荏原宮と呼ばれたという。

室町時代の文明年間(1469年-1487年)、当地に白雉が一羽飛来してきて死んだ。

その夜村民の夢に甲冑を着た人が現れ、「私は日本武尊である。当地に私を祀れば、国家守護、村民安全」と告げて、白雉と化して飛び去ったという。

そこで、大鳥明神と号して奉斎された。大鳥明神社とも。主祭神は日本武尊。日本武尊といえば白鳥伝説であるが、白雉というのが興味深い。

江戸時代初期の慶長年間(1596年-1615年)、後の3代将軍徳川家光が鷹狩の際、一羽の白雉が当社地に飛び行ったのを稀な瑞兆として神号を問うた。

大鳥明神と聞いた家光は、「今より雉子宮と称すべし」と命じた。家光は慶長9年(1609年)生まれ。慶長末年の1615年のことだとしても当時6歳程度となる。

6歳で鷹狩りというのも難しいかもしれないが、白雉を素直に賞したことには稚気は感じられる。なお、家光晩年の年号に、慶安(1648年-1652年)がある。

ただし、境内掲示などで「慶長年間」とされているだけで、『新編武蔵風土記稿』など一部資料では、家光の鷹狩りの時期については触れられていない。

ともかく、江戸の社寺名所に名を連ね、武蔵国荏原郡上大崎村・下大崎村・谷山村・永峰町・六軒茶屋町の鎮守として、賑わったという。隣接する白雉山宝塔寺が旧別当寺。

明治になり、現社号に改称した。現在は、品川区上大崎・東五反田の全域と、両五反田1・2・3丁目一円の氏神である。

明治5年(1872年)、村社に列し、社前の中原街道(国道1号線)が明治38年(1905年)から3度横幅改修されて、社地が次第に狭隘になった。

明治43年(1910年)、上大崎村に鎮座していた三島神社(大山祇命)を合祀した。現在までに他に、天手力雄命を併せて祀る。

現在は、12階建ての白雉子ビルの1階ロビーが社地になっており、ビルはコの字になっており、社殿の上方はさえぎられることなく、吹き抜けになっている。

例祭は10月上旬の第1土・日曜日。毎年社前の桜田通りの歩道は露店で賑やかになり、神楽などの奉納、御輿勢ぞろいなどが行われる。

境内社に三柱神社がある。御祭神は、大国主命倉稲魂命埴山姫命。境外摂社に、誕生八幡神社がある。また、袖ヶ崎神社を兼務している。

【ご利益】
家内安全・地域安全、平穏安寧、開運招福
雉子神社 東京都品川区東五反田
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雉子神社 東京都品川区東五反田の御朱印