平安後期に京都稲荷山を勧請した忍田稲荷、越前から移住の宮司家
[住所]東京都品川区東五反田3-6-20
[電話]03-3441-2331 - 雉子神社

袖ヶ崎神社(そでがさきじんじゃ、袖ケ崎神社)は、東京都品川区東五反田にある神社。通常無人であり、本務社の雉子神社でも御朱印の授与は行われていないという。

平安時代後期の保延元年(1137年)、京都稲荷山を勧請して奉斎された。当初は忍田稲荷大明神(しのだいなりだいみょうじん)と称した。

稲荷神としての豊受姫神を主祭神とする。

その後、南北朝時代の康永3年(1344年)、越前国丹生郡小川村の鎮守八幡宮の神主山口直可の次男直正が東国へ下向し、当社の神主となった。

越前国丹生郡小川村は、現在の福井県丹生郡越前町朝日に相当すると思われるが、複数の八幡神社があり、上記の「鎮守八幡宮」が何を指すのかは不明。

現在、当社は無人だが、境内案内によれば、南北朝期この時以来、山口家が宮司家として代々奉仕しているという。

その後宮司家は、神明宮を社の南の方へ祀って袖ヶ崎神明宮(天照皇大神)と奉称し、また八幡宮(誉田別尊)を奉斎した。

さらに江戸時代前期の元禄年間(1688年-1704年)には天満宮(菅原道真命)を、江戸時代中期の正徳年間(1711年-1716年)には塩竃大神(塩槌翁命)を祀った。

また、『東都歳時記』に御府内弁財天百社番外の4番とある厳島大神(弁天様。市杵島姫命)を合祀した。他に、鹿島様として武甕槌命を、香取様として経津主命を祀る。

当社は、3代将軍徳川家光をはじめ、武家の崇敬が篤かった。

延享2年(1745年)の火災に際して、伊達家は新社殿を寄進、細川豊前守は金箔塗りの神狐1対を奉納、古蹟社と称され、寺社奉行直支配だったという。

明治維新を期に、現社号に改称。明治41年(1908年)には桐ヶ谷氷川神社の境内に分祀。現在は東五反田3丁目、4丁目の一部の鎮守である。

江戸時代後期の嘉永2年(1849年)に建築された土蔵造りの社殿には、名工伊豆長八の描いた「八岐の大蛇」のこてえ鏝絵があったが、戦災で消失した。

昭和32年(1957年)に氏子などの奉賛により仮社殿が竣工、昭和42年(1967年)6月に社前の中原街道の拡幅に伴い、境内整備とともに社殿を新築した。

末社に、祖霊社・真正神社の合殿があり、神社祭祀に功のあった山口直正命が祀られている。

例祭は5月第4土・日曜日。

【ご利益】
事業成功、開運招福、学業・受験合格、武運長久・勝運
袖ヶ崎神社 東京都品川区東五反田
【関連記事】
東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧