鎌倉期の創祀か? 地名起源の碑文石、9月祭り、1月どんど焼き
[住所]東京都目黒区碑文谷3-7-3
[電話]03-3717-6412
碑文谷八幡宮(ひもんやはちまんぐう)は、東京都目黒区碑文谷にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は誉田別命。鎌倉時代に源頼朝の家臣、畠山重忠の守護神をその家臣筋で当地に住んでいた宮野左近が祀ったのが始まりであるという。
「碑文谷」の名の起こりともいわれている、碑文石が保存されている。高さは約75センチ、横は最大で約45センチ、厚さは約10センチ。
室町時代の頃の作と言われ、現在は暗渠化されているが、付近を流れていた呑川の川床の石を材料にして制作されたもの。
中央に大日如来を示す梵字が、左には勢至菩薩を示す梵字が、右には観音菩薩を示す梵字がそれぞれ刻まれている。
一説に、この碑文を彫った石がある里(谷)ということから、「碑文谷」という地名が生まれたともされるが、地名起源には諸説ある。
江戸時代には碑文谷村の鎮守となり、別当寺として近辺にある円融寺の子院である神宮院が置かれていた。明治になり、村社に列した。
社殿は、戦国時代の永正8年(1511年)、江戸時代前期の寛永8年(1631年)、延宝2年(1674年)、江戸時代中期の宝永元年(1704年)に造営の記録が残る。
現在の社殿は、明治5年(1872年)に再建され、明治20年(1887年)に改築されて、昭和58年(1981年)にも増改築されたもの。
勝海舟直筆の「八幡大神」の額などが保存されている。境内には畠山重忠の家臣榛沢六郎を祀った稲荷社がる。
例祭は9月敬老の日前後。屋台が出て、神輿が練り歩く地元の有名な祭りになっている。1月にはどんど焼きが行われる。
広々とした境内に、参道が長く続く。桜の時期になると一の鳥居から二の鳥居までの間が桜の花で溢れ、桜の見所にもなっていることでも知られている。
【ご利益】
厄災除け、家内安全、地域安全
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御祭神は誉田別命。鎌倉時代に源頼朝の家臣、畠山重忠の守護神をその家臣筋で当地に住んでいた宮野左近が祀ったのが始まりであるという。
「碑文谷」の名の起こりともいわれている、碑文石が保存されている。高さは約75センチ、横は最大で約45センチ、厚さは約10センチ。
室町時代の頃の作と言われ、現在は暗渠化されているが、付近を流れていた呑川の川床の石を材料にして制作されたもの。
中央に大日如来を示す梵字が、左には勢至菩薩を示す梵字が、右には観音菩薩を示す梵字がそれぞれ刻まれている。
一説に、この碑文を彫った石がある里(谷)ということから、「碑文谷」という地名が生まれたともされるが、地名起源には諸説ある。
江戸時代には碑文谷村の鎮守となり、別当寺として近辺にある円融寺の子院である神宮院が置かれていた。明治になり、村社に列した。
社殿は、戦国時代の永正8年(1511年)、江戸時代前期の寛永8年(1631年)、延宝2年(1674年)、江戸時代中期の宝永元年(1704年)に造営の記録が残る。
現在の社殿は、明治5年(1872年)に再建され、明治20年(1887年)に改築されて、昭和58年(1981年)にも増改築されたもの。
勝海舟直筆の「八幡大神」の額などが保存されている。境内には畠山重忠の家臣榛沢六郎を祀った稲荷社がる。
例祭は9月敬老の日前後。屋台が出て、神輿が練り歩く地元の有名な祭りになっている。1月にはどんど焼きが行われる。
広々とした境内に、参道が長く続く。桜の時期になると一の鳥居から二の鳥居までの間が桜の花で溢れ、桜の見所にもなっていることでも知られている。
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