南北朝期に勧請、江戸前期の本殿、10月例祭で船形の屋台と獅子舞
[住所]兵庫県神戸市西区平野町黒田392
[電話]078-991-1034 - 諏訪神社
堅田神社(かただじんじゃ )は、兵庫県神戸市西区平野町黒田にある神社。黒田堅田神社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 明石郡「弥賀多多神社/弥賀多々神社」に比定される式内社(小社)の論社。
南北朝時代末期の明徳2年(1391年)6月3日、西区平野町堅田に鎮座する堅田神社から勧請、奉祀した。
もとは、西区平野町堅田の堅田神社が堅田はもちろん、黒田・繁田を含む地域の氏神だったというが、交通が不便ということで分祀されたという。
現在までに御祭神は、大己貴命を主祭神として、豊磐窓命・櫛磐窓命を配祀する。
『延喜式神名帳』のはるか後の分祀であり、当社そのものが式内社ではありえない。西区平野町堅田の堅田神社が式内後継社ということで、当社も論社というよりは参考社という扱いか。
本殿は、桧皮葺き入母屋造で、江戸時代前期の延宝8年(1680)9月に再建されたものだという。
拝殿は、瓦葺き入母屋造で、鳥居、手水舎、狛犬、石灯籠などがある。境内社に、稲荷社と天神社がある。
また、手洗石には「安永3甲午歳(1774年)3月吉日」とあり、石灯籠には「寛政8丙辰年(1796年)8月」の銘がある。
安産の守護神として尊崇厚く、7月17日の夏祭り、12月17日の浦祭り、例祭は10月8日だったが、現在は、自治会の申し合わせで10月体育の日の前日に斎行される。
神事に、青年団奉仕の「獅子舞」と「祇園囃子」を行っていたが、現在は、10月の秋季例大祭に、氏子寄贈による船形の屋台で、青年団と子どもたちによる「獅子舞」が奉納されている。
また、子どもたちのためにと、婦人会が主催して模擬店を出している。
なお、式内社「弥賀多多神社」の論社は他に、先の堅田神社の他、当社と同じく分祀した繁田の同名神社の他、明石市の材木町の岩屋神社、岬町の伊弉冊神社がある。
当社を含む平野町の三社の堅田神社は現在、いずれも櫨谷諏訪神社の兼務神社である。
【ご利益】
安産、無病息災、厄災除け
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・兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧
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堅田神社(かただじんじゃ )は、兵庫県神戸市西区平野町黒田にある神社。黒田堅田神社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 明石郡「弥賀多多神社/弥賀多々神社」に比定される式内社(小社)の論社。
南北朝時代末期の明徳2年(1391年)6月3日、西区平野町堅田に鎮座する堅田神社から勧請、奉祀した。
もとは、西区平野町堅田の堅田神社が堅田はもちろん、黒田・繁田を含む地域の氏神だったというが、交通が不便ということで分祀されたという。
現在までに御祭神は、大己貴命を主祭神として、豊磐窓命・櫛磐窓命を配祀する。
『延喜式神名帳』のはるか後の分祀であり、当社そのものが式内社ではありえない。西区平野町堅田の堅田神社が式内後継社ということで、当社も論社というよりは参考社という扱いか。
本殿は、桧皮葺き入母屋造で、江戸時代前期の延宝8年(1680)9月に再建されたものだという。
拝殿は、瓦葺き入母屋造で、鳥居、手水舎、狛犬、石灯籠などがある。境内社に、稲荷社と天神社がある。
また、手洗石には「安永3甲午歳(1774年)3月吉日」とあり、石灯籠には「寛政8丙辰年(1796年)8月」の銘がある。
安産の守護神として尊崇厚く、7月17日の夏祭り、12月17日の浦祭り、例祭は10月8日だったが、現在は、自治会の申し合わせで10月体育の日の前日に斎行される。
神事に、青年団奉仕の「獅子舞」と「祇園囃子」を行っていたが、現在は、10月の秋季例大祭に、氏子寄贈による船形の屋台で、青年団と子どもたちによる「獅子舞」が奉納されている。
また、子どもたちのためにと、婦人会が主催して模擬店を出している。
なお、式内社「弥賀多多神社」の論社は他に、先の堅田神社の他、当社と同じく分祀した繁田の同名神社の他、明石市の材木町の岩屋神社、岬町の伊弉冊神社がある。
当社を含む平野町の三社の堅田神社は現在、いずれも櫨谷諏訪神社の兼務神社である。
【ご利益】
安産、無病息災、厄災除け
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