鎌倉末期に堅田を勧請した繁田神社、10月例祭に獅子舞と信仰
[住所]兵庫県神戸市西区平野町繁田558
[電話]078-991-1034 - 諏訪神社
堅田神社(かただじんじゃ )は、兵庫県神戸市西区平野町繁田にある神社。繁田堅田神社、繁田神社、繁田の氏神さんなどとも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 明石郡「弥賀多多神社/弥賀多々神社」に比定される式内社(小社)の論社。
鎌倉時代末期の正応5年(1292年)11月28日、西区平野町堅田に鎮座する堅田神社から勧請、奉祀したという。
もとは、西区平野町堅田の堅田神社が堅田はもちろん、黒田・繁田を含む地域の氏神だったというが、交通が不便ということで分祀されたという。
現在までに御祭神は、大己貴命を主祭神とし、素盞嗚尊・住吉大神・顕宗天皇・仁賢天皇を配祀する。
『延喜式神名帳』のはるか後の分祀であり、当社そのものが式内社ではありえない。西区平野町堅田の堅田神社が式内後継社ということで、当社も論社というよりは参考社という扱いか。
本殿・拝殿に「宝暦12年(1762年)」、手洗石に「寛政9年(1797年)11月2日」、また狛犬に「文政5年(1822年)5月吉日」の銘が刻まれている。
本殿は、入母屋造、桧皮葺。例祭は10月18日だったが、旧暦8月18日になり、それを明治の末に新暦10月8日に改められたとという。
昔は氏子青年団の祇園囃子、獅子舞、神事の角力が行われ、最近まで相撲の地方巡業の催しがあったという。
現在は、秋季例祭は10月体育の日の前日になり、神事として、青年団の獅子舞を御神前で舞う程度である。
氏子中では、この1年間に生まれた子どもはこの例祭の日にお参りをし、獅子に噛んでもらうと、無病息災、長寿となるという信仰がある。
なお、式内社「弥賀多多神社」の論社は他に、先の堅田神社の他、当社と同じく分祀した黒田の同名神社の他、明石市の材木町の岩屋神社、岬町の伊弉冊神社がある。
当社を含む平野町の三社の堅田神社は現在、いずれも櫨谷諏訪神社の兼務神社である。
【ご利益】
厄災除け、無病息災、健康長寿
![堅田神社 兵庫県神戸市西区平野町繁田](https://livedoor.blogimg.jp/buccyake_kojiki/imgs/a/5/a5bad2ea.jpg)
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堅田神社(かただじんじゃ )は、兵庫県神戸市西区平野町繁田にある神社。繁田堅田神社、繁田神社、繁田の氏神さんなどとも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 明石郡「弥賀多多神社/弥賀多々神社」に比定される式内社(小社)の論社。
鎌倉時代末期の正応5年(1292年)11月28日、西区平野町堅田に鎮座する堅田神社から勧請、奉祀したという。
もとは、西区平野町堅田の堅田神社が堅田はもちろん、黒田・繁田を含む地域の氏神だったというが、交通が不便ということで分祀されたという。
現在までに御祭神は、大己貴命を主祭神とし、素盞嗚尊・住吉大神・顕宗天皇・仁賢天皇を配祀する。
『延喜式神名帳』のはるか後の分祀であり、当社そのものが式内社ではありえない。西区平野町堅田の堅田神社が式内後継社ということで、当社も論社というよりは参考社という扱いか。
本殿・拝殿に「宝暦12年(1762年)」、手洗石に「寛政9年(1797年)11月2日」、また狛犬に「文政5年(1822年)5月吉日」の銘が刻まれている。
本殿は、入母屋造、桧皮葺。例祭は10月18日だったが、旧暦8月18日になり、それを明治の末に新暦10月8日に改められたとという。
昔は氏子青年団の祇園囃子、獅子舞、神事の角力が行われ、最近まで相撲の地方巡業の催しがあったという。
現在は、秋季例祭は10月体育の日の前日になり、神事として、青年団の獅子舞を御神前で舞う程度である。
氏子中では、この1年間に生まれた子どもはこの例祭の日にお参りをし、獅子に噛んでもらうと、無病息災、長寿となるという信仰がある。
なお、式内社「弥賀多多神社」の論社は他に、先の堅田神社の他、当社と同じく分祀した黒田の同名神社の他、明石市の材木町の岩屋神社、岬町の伊弉冊神社がある。
当社を含む平野町の三社の堅田神社は現在、いずれも櫨谷諏訪神社の兼務神社である。
【ご利益】
厄災除け、無病息災、健康長寿
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