酒造で知られる住道神、摂津三の宮とも、宮司家からプロ野球選手
[住所]大阪府大阪市住吉区長居西2-1-4
[電話]06-6692-6202
神須牟地神社(かみすむぢじんじゃ/かみすむぢじんしゃ)は、大阪府大阪市住吉区長居西にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 住吉郡「神須牟地神社」に比定される式内社(小社、鍬靫)。近代社格では村社。
創建年代は不詳。『新撰姓氏録』摂津国未定雑姓に「住道首伊弉諾尊男素盞嗚尊之後也」とあり、御祭神はもとは素盞嗚尊で、住道首がその祖神を奉斎したのが創始とされる。
古来、酒造の神として、また医薬の神として崇敬が篤かった。
『延喜式』巻11「玄蕃寮」にある、新羅客の入朝の際、振る舞われた神酒を醸造したという住道社を当社に比定する見解もある。また、『延喜式』八十嶋祭には、住道神二座の記載がある。
住道社については、中臣須牟地神社に比定する向きもある。ともかく、当社はもとは住吉大社の北方住道と称する地、住吉町道北、住道堂あたりに鎮座していたとも。
その後に現在の大阪市平野区喜連にあたる楯原の地に遷座、さらに景勝の地だった長居浦である現社地に三遷したという。
また、中臣須牟地神社に残されている『叢社記』によれば、「神須牟地神社は当社の西の天神山にあり、少彦名神を祀る」とあるという。
久しく荒廃していたが、江戸時代初期の元和元年(1615年)に再建された。住吉大社の東1500メートル、上町台地から続く古代大阪の陸地の南端に近い。
中臣須牟地神社の旧社地とともに、大和国への道筋にあたる交通の要所で、呉客道とも、磯歯津路とも呼ばれた。
江戸時代、大名が参勤交代の途中で住吉大社に参拝する際、当社で旅装から定められた装束に着替え、参拝したと言われている。
江戸時代中期の元文元年(1736年)9月、幕府は当社や後述の多米神社が廃れているのを憂い、幕吏である菅廣房(山口屋伊兵衛)に石碑2基を建立させた。
いわゆる並河誠所の社号標で、いずれも現存し、現在は市の有形文化財に指定されている。
現在の主祭神は、神産霊大神、天日鷲命、少名彦命。住吉大社が摂津国一宮と呼ばれたのに対し、当社が三宮(三の宮)とされたという。
摂津国は通常、一宮である住吉大社、あるいは坐摩神社が知られるだけで、二宮以下は不詳とされる。当社を三宮とした場合、二宮はどこなのだろうか。
住吉大社の神官が当社の神職を兼任することが多かったが、第二次世界大戦後、敗戦の混乱で存亡の危機に立たされ、八尾市の古社の神官が当社の土地を無償で譲り受け、初代宮司となった。
この初代宮司の曾孫に、プロ野球選手の大引啓次がおり、ファンなどの間からは、当社は「大引神社」とも呼ばれる。
例祭は、夏大祭が7月21日、秋大祭が10月21日。
住吉区長居2丁目に鎮座する多米神社は、現在は当社の境外摂社で、『延喜式』神名帳にある「多米神社」に比定される式内社(小社)の論社。
別名を「苗見神社」「種貸神社」ともいい、崇敬された。 御祭神は宇賀魂命、神稚魂神、保食神。他の論社に、現在は住吉大社の境内にある種貸社がある。
他に、当社の境内社に農神社(大己貴命)がある。
【ご利益】
酒造、事業成功、健康長寿、厄災除け
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神須牟地神社(かみすむぢじんじゃ/かみすむぢじんしゃ)は、大阪府大阪市住吉区長居西にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 住吉郡「神須牟地神社」に比定される式内社(小社、鍬靫)。近代社格では村社。
創建年代は不詳。『新撰姓氏録』摂津国未定雑姓に「住道首伊弉諾尊男素盞嗚尊之後也」とあり、御祭神はもとは素盞嗚尊で、住道首がその祖神を奉斎したのが創始とされる。
古来、酒造の神として、また医薬の神として崇敬が篤かった。
『延喜式』巻11「玄蕃寮」にある、新羅客の入朝の際、振る舞われた神酒を醸造したという住道社を当社に比定する見解もある。また、『延喜式』八十嶋祭には、住道神二座の記載がある。
住道社については、中臣須牟地神社に比定する向きもある。ともかく、当社はもとは住吉大社の北方住道と称する地、住吉町道北、住道堂あたりに鎮座していたとも。
その後に現在の大阪市平野区喜連にあたる楯原の地に遷座、さらに景勝の地だった長居浦である現社地に三遷したという。
また、中臣須牟地神社に残されている『叢社記』によれば、「神須牟地神社は当社の西の天神山にあり、少彦名神を祀る」とあるという。
久しく荒廃していたが、江戸時代初期の元和元年(1615年)に再建された。住吉大社の東1500メートル、上町台地から続く古代大阪の陸地の南端に近い。
中臣須牟地神社の旧社地とともに、大和国への道筋にあたる交通の要所で、呉客道とも、磯歯津路とも呼ばれた。
江戸時代、大名が参勤交代の途中で住吉大社に参拝する際、当社で旅装から定められた装束に着替え、参拝したと言われている。
江戸時代中期の元文元年(1736年)9月、幕府は当社や後述の多米神社が廃れているのを憂い、幕吏である菅廣房(山口屋伊兵衛)に石碑2基を建立させた。
いわゆる並河誠所の社号標で、いずれも現存し、現在は市の有形文化財に指定されている。
現在の主祭神は、神産霊大神、天日鷲命、少名彦命。住吉大社が摂津国一宮と呼ばれたのに対し、当社が三宮(三の宮)とされたという。
摂津国は通常、一宮である住吉大社、あるいは坐摩神社が知られるだけで、二宮以下は不詳とされる。当社を三宮とした場合、二宮はどこなのだろうか。
住吉大社の神官が当社の神職を兼任することが多かったが、第二次世界大戦後、敗戦の混乱で存亡の危機に立たされ、八尾市の古社の神官が当社の土地を無償で譲り受け、初代宮司となった。
この初代宮司の曾孫に、プロ野球選手の大引啓次がおり、ファンなどの間からは、当社は「大引神社」とも呼ばれる。
例祭は、夏大祭が7月21日、秋大祭が10月21日。
住吉区長居2丁目に鎮座する多米神社は、現在は当社の境外摂社で、『延喜式』神名帳にある「多米神社」に比定される式内社(小社)の論社。
別名を「苗見神社」「種貸神社」ともいい、崇敬された。 御祭神は宇賀魂命、神稚魂神、保食神。他の論社に、現在は住吉大社の境内にある種貸社がある。
他に、当社の境内社に農神社(大己貴命)がある。
【ご利益】
酒造、事業成功、健康長寿、厄災除け
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