神功皇后が祈願、新羅からの客をもてなす酒、赤松円心ゆかり
[住所]兵庫県尼崎市上坂部3-25-18
[電話]06-6492-0753

伊佐具神社(いさぐじんじゃ)は、兵庫県尼崎市上坂部にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 河辺郡「伊佐具神社」に比定される式内社(小社、鍬靫)。近代社格では郷社。

市内唯一の式内社。鍬靫の奉献は、河辺郡式内社7社の中で唯一である。

創祀年代は不詳。社伝によれば、神功皇后が筑紫に行く際に、当社で祈願したという。第14代仲哀天皇9年のこととされる。

御祭神は、五十狭城入彦尊。伊狭城入彦尊とも表記される。第12代景行天皇の皇子で、日本武尊の異母弟。

近松公園には市内最大の前方後円墳である伊居太古墳があり、その隣地に当社も鎮座する。

大化元年(645年)、孝徳天皇が、難波長柄の豊碕(難波宮)に遷都した時、当地付近に上陸して、風光明媚な景色を喜び、行在所「小墾田宮」を営んだという。

境内にはその碑があり、源実連の下記の歌が刻まれている。
おはただの 板だの橋の と絶えしを ふみなおしても わたる君かな
『延喜式』巻11「玄蕃寮」には、新羅からの客に振舞う神酒を造るための稲を、大和・摂津・河内・和泉より選ばれた12社中の1社として、住道(中臣須牟地神社)に送るとある。

上坂部という地名は、この酒にちなむ酒部から、あるいは神崎とも呼ばれて、当社前という意味で、神前から起ったとも伝えられている。

南北朝時代には、赤松円心が当社を崇敬したことでも知られている。当社近くに布陣したこともあるという。境内の一隅には赤松円心を偲び、供養したという塔頭がある。

江戸時代中期に国学者の並河誠所により、式内社に比定され、「伊佐具社」と刻まれた標石が現存する。現在は市指定文化財。

明治6年(1873年)、郷社に列した。境内には神仏混淆のなごりである白龍稲荷神社が残されている。

例祭は10月22日に近い土・日曜日。神輿、だんじりが巡行する。

その掛け声が独特で、神輿の際は「チョキ チョキ ヨイト チョキ」、子供だんじりの際は「エーライヤッチャ アーカンヤッチャ」。

神輿の宮入にも、鳥居あたりから神輿を担いだ攻め方が社殿に向かって全力疾走し、守り方が神輿を押し戻そうとする風習がある。

大勢の見物客にも見守られて、攻め方、守り方の気合いも十分、「揺り戻し」と呼ばれるこのやり取りは約30分も続くという。

【ご利益】
縁結び、安産、武運長久・勝運
伊佐具神社 兵庫県尼崎市上坂部
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伊佐具神社 兵庫県尼崎市上坂部の御朱印