筑紫岡田村から廣田神社の創建に協力した一族、神戸女学院の構内
岡田神社 兵庫県西宮市岡田山4-1
[住所]兵庫県西宮市岡田山4-1
[電話]0798-74-3489 - 廣田神社

岡田神社(おかだじんじゃ)は、兵庫県西宮市岡田山にある神社。現在は廣田神社の境外摂社で、神戸女学院の構内に、校舎に囲まれる形で鎮座する。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 武庫郡「岡太神社」に比定される式内社(小社)の論社。他の論社に、市内小松南町の岡太神社がある。

創建年代は不詳。往古、筑前国岡田村の者が神功皇后に供奉してこの地に至り、廣田社の創建に奉仕したという。

その者たちがこの地に居住し、子孫が繁栄したため、やがてその祖神をこの山に鎮祭したものであるという。

御祭神は天御中主命。異説として、倉稲魂命武内宿禰などもあるが、あまり有力ではないようだ。

筑前国岡田村について、『古事記』にも初代神武天皇の東遷において岡田宮と出てくるものと関連があると指摘されている(『古事記』該当部分)。

岡田宮については現在、福岡県北九州市八幡西区の岡田宮と福岡県遠賀郡芦屋町の神武天皇社が候補地になっている。

中世以降、極端に衰微したという。境内には2、3本の樹木だけを残すのみとなり、近世には御神木を祀るだけの、祠もない状態になった。

なお、江戸時代前期の万治元年(1658年)、天御中主大神の坐す神輿が流れ着き、造営されたのが神戸市兵庫区の和田神社

天御中主大神の坐す神輿が流れた元が、式内社「岡太神社」だとされている。

江戸時代後期の文政5年(1822年)、1坪ばかり練塀を築こうとして、広田村の岡田氏数家の寄進で敷地の内に土を運んだ。

その際、未申の方に石が発掘された。調べてみると、横巾1尺5寸、高さ2尺5寸の石祠だった。この石祠はすぐさま本祠となり、現在も本殿の床下に保存されている。

明治になり、尼崎藩7代藩主松平忠興が明治5年(1872年)、岡田山を別荘地として買い入れた。しかし、当社領域だけはその別荘地に組み込まれなかった。

明治11年(1878年)、当社は廣田神社の境外摂社となった。

この別荘地に、昭和になって神戸女学院が来た時、ミッション系の学校には相応しくないため、学院側は現在の数倍の境内地を寄進しようとした。

しかし、廣田神社や内務省がこれに反対。学院側はやむを得ず、社地の周りに生垣を設け、スギなどを植えて、学院側との境となしたという。

昭和15年(1940年)、皇紀2600年の節目に、廣田神社建替事業があり、その古材を用いて、当社は社殿が建造された。

戦後になり、学院側は改めて、当社の移転を提案し、この時は廣田神社も同意したとされるが、今度は予算などの関係で、霧散したという。

例祭は3月5日。

【ご利益】
学業・受験合格、方除け・厄災除け
岡田神社 兵庫県西宮市岡田山
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