億計・弘計2皇子、秀吉ゆかりの宮、境内に式内論社? 10月に屋台
[住所]兵庫県三木市久留美1840
[電話]0794-82-0914
八雲社(やくものやしろ/やくもしゃ)は、兵庫県三木市久留美にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
八雲神社、久留美八雲神社とも呼ばれるが、市内別所町に別の八雲神社がある。
社前では「やくものやしろ」、兵庫県神社庁は「やくもしゃ」としている。当社の創祀年代は不詳。御祭神は八雲武大神で、素戔嗚尊のこと。
また、天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野橡樟日命・田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命の宗像三女神含む五男三女命を併せて祀る。
億計・弘計2皇子ゆかりの宮、とされる。当地周辺は、第21代雄略天皇の粛清から2人の皇子が身を隠したていた所で、「久留美」は久しく留まった美しい所の意味。
『古事記』によれば、二皇子の兄弟は、雄略天皇崩御後に都に戻り、まず弟の億計王が即位して第23代顕宗天皇に、次いで兄の弘計王が即位して第24代仁賢天皇となった。
南北朝時代初期の延元2年(1337年)、皇子谷より宮の西に遷座し、この年に社殿を創建したという。
安土桃山時代の天正6年(1578年)、豊臣秀吉が三木城を攻める祭、当社に祈願したという。落城後は奉賽のため、五色の幣と白旗を奉納し、田地を寄進した。
億計・弘計二皇子のみならず、「豊臣秀吉ゆかりの宮」ともされる所以。
江戸時代後期の文政8年(1825年)、落雷により、社殿・古文書・その他を焼失。間もなく再建に着手し、翌年に再建された。
明治7年(1874年)、郷社に列した。
例祭は10月10日。大宮八幡宮のものが有名なように、三木市内に鎮座する多くの神社と同様、当社でもこの日の近辺で、屋台の宮入・宮出の練りなどが行われる。
境内社に、八幡大神や、その他小祠や磐座が無数にある。その中に、垣田社があるとされる。
この垣田社は、『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 賀茂郡「垣田神社」に比定される式内社(小社)の参考社とされる。
詳細や参考社としての見解は不明だが、式内社「垣田神社」の論社は他に、小野市小田町の垣田神社、加東市秋津の住吉神社がある。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、家内安全(公式HP)
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八雲社(やくものやしろ/やくもしゃ)は、兵庫県三木市久留美にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
八雲神社、久留美八雲神社とも呼ばれるが、市内別所町に別の八雲神社がある。
社前では「やくものやしろ」、兵庫県神社庁は「やくもしゃ」としている。当社の創祀年代は不詳。御祭神は八雲武大神で、素戔嗚尊のこと。
また、天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野橡樟日命・田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命の宗像三女神含む五男三女命を併せて祀る。
億計・弘計2皇子ゆかりの宮、とされる。当地周辺は、第21代雄略天皇の粛清から2人の皇子が身を隠したていた所で、「久留美」は久しく留まった美しい所の意味。
『古事記』によれば、二皇子の兄弟は、雄略天皇崩御後に都に戻り、まず弟の億計王が即位して第23代顕宗天皇に、次いで兄の弘計王が即位して第24代仁賢天皇となった。
南北朝時代初期の延元2年(1337年)、皇子谷より宮の西に遷座し、この年に社殿を創建したという。
安土桃山時代の天正6年(1578年)、豊臣秀吉が三木城を攻める祭、当社に祈願したという。落城後は奉賽のため、五色の幣と白旗を奉納し、田地を寄進した。
億計・弘計二皇子のみならず、「豊臣秀吉ゆかりの宮」ともされる所以。
江戸時代後期の文政8年(1825年)、落雷により、社殿・古文書・その他を焼失。間もなく再建に着手し、翌年に再建された。
明治7年(1874年)、郷社に列した。
例祭は10月10日。大宮八幡宮のものが有名なように、三木市内に鎮座する多くの神社と同様、当社でもこの日の近辺で、屋台の宮入・宮出の練りなどが行われる。
境内社に、八幡大神や、その他小祠や磐座が無数にある。その中に、垣田社があるとされる。
この垣田社は、『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 賀茂郡「垣田神社」に比定される式内社(小社)の参考社とされる。
詳細や参考社としての見解は不明だが、式内社「垣田神社」の論社は他に、小野市小田町の垣田神社、加東市秋津の住吉神社がある。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、家内安全(公式HP)
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