縄文・弥生の創祀とも、中世に住吉大社別宮、豊臣秀吉が寄進
[住所]兵庫県小野市小田町1649
[電話]0794-67-1004

垣田神社(かきたじんじゃ)は、兵庫県小野市小田町、もとの字住社にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 賀茂郡「垣田神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

創祀年代は不詳。もともと現在の字神ノ木、つまり小田を貫流する東条川の北、山の中腹の高台地に鎮座したという。

現在は当社本宮として、稲荷社が鎮座している付近で、神ノ木という地名が神聖な場所であったことを表している。

神ノ木の山麓には、南の中谷町の愛宕山古墳、東の東条町松沢の横山古墳、西の小野市船木町芝打野一帯から北山を経て中番町東野に展開する船木古墳群がある。

そのちょうど要の位置にある神ノ木は四方を眺望する高台で高地性遺跡的性格も備えており、当社の創始は、弥生時代初期か、あるいは縄文時代後期まで遡るともされる。

御祭神は、表筒男神中筒男神底筒男命住吉三神の住吉三神。平城天皇の御代、平安時代の大同2年(807年)、現在地に遷座した。

当社の神宮寺だといわれている西にあった字坂口の西福寺や、東の松沢町字大深谷の東福寺の建立は、平安時代末期の頃とされる。

当社がいかに早くから当地で奉斎され、そしておそらく崇敬され続けていたかわかる。寺院名の東西も当社を中心としたものか。なお、西福寺は現在廃寺となっている。

昌泰2年(899年)に、藤原公方が勅使として派遣され、奉幣の儀が行われ、この際、垣田大神の勅号が贈られたとされる。

延喜元年(901年)4月には神功皇后が配祀された。

加東郡、加西郡、美嚢郡と多紀郡、多可郡、加古郡、印南郡、神崎郡、明石郡の一部が、住吉大社の神領に組み込まれた際、東条別宮と称えられたという。

今でも「別宮さん」という呼び名が残っており、字名の住社もこれに由来するという。

安土桃山時代の天正7年(1579年)、羽柴秀吉による三木城攻めの兵火により焼失。天正12年(1584年)には秀吉から神田2段あまりが寄進された。

江戸時代になり、垣田住吉大明神と呼ばれるようになり、その中期の正徳3年(1712年)4月7日には正一位に進んだ。

姫路藩主酒井家の崇敬も篤く、定紋付高張提灯一双を奉献し、加古川の渡場に当社名を刻した標柱を建て、藩主交替のたびに名代を差遣して代拝させたという。

社殿については、元文5年(1740年)4月24日に再建された記録が残る。

明治6年(1873年)、郷社に列し、大正12年(1923年)、県社に昇格した。例祭は10月9日。

境内社に、表津神社・中津神社・底津神社・宗像神社・八幡神社・大地神社・八坂神社がある。

なお、式内社「垣田神社」の論社は他に、加東市秋津の住吉神社、三木市久留美の八雲社の境内社がある。

【ご利益】
安産、交通安全、武運長久・勝運
垣田神社 兵庫県小野市小田町字住社
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