景行朝の創建とも、4月例祭で御輿や「五行の舞」、太太神楽
正一位浅間神社 山梨県西八代郡市川三郷町宮原1
[住所]山梨県西八代郡市川三郷町宮原1
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正一位浅間神社(しょういちいあさまじんじゃ)は、山梨県西八代郡市川三郷町宮原にある神社。単に浅間神社とも、宮原浅間神社とも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 八代郡「表門神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

社伝によれば、第12代景行天皇56年6月、塩海足尼が甲斐国造として入国の際に創建されたという。第13代成務天皇56年には幣帛を賜り、往古は、表門社、浅間神社、あるいは磐間宮とも称した。

また、岩間、葛篭沢、宮原三村の産神として三ノ宮とも呼ばれ、岩間庄内の総鎮守として崇敬された。御祭神は、木花開耶姫命邇々藝命彦火々出見命

飛鳥時代の大化年間(645年-650年)、徳丸皇子の祈願により社殿を改築したという。徳丸皇子は不詳。

奈良時代の神護景雲元年(767年)、坂上田村麻呂によって再建されたとも伝わる。戦国時代になり、兵火で焼亡したが、後に再建され、朝廷・武将の崇敬が篤かった。

江戸時代後期の天保8年(1838年)、有栖川宮家より正一位の神階が授けられ、同時に同家の祈願所となった。

また、後陽成天皇の第8皇子である良純親王が、寛永20年(1643年)に甲斐配流となったが、その後、その行宮跡に里人が神殿を建立して八之宮と称したという。

明治元年(1868年)、暴風のために八之宮は大破、当社に合祀されたという。当社は明治6年(1873年)、郷社に列し、浅間神社に改称した。

例祭は4月13日に近い日曜日。宮原・岩間・葛篭沢の氏子3地区が毎年交代で神輿、山車の巡行を行う。

笛・太鼓の囃子に合わせて無言で舞う無言劇稚児「五行の舞」が有名だという。また、文化13年(1816年)建造の神輿が町の文化財に指定されている。

さらに、太太神楽が町指定無形文化財となっている。

なお、式内社「表門神社」の論社は他に、町内上野甲府市白井町に式内同名神社があり、また、甲府市右左口町の五社神社がある。

また、巨麻郡には同音の式内社「宇波刀神社」があり、山梨県北杜市甲府市韮崎市の宇波刀神社、甲府市美咲の御崎神社が論社。

【ご利益】
子宝・安産、夫婦和合、家内安全
正一位浅間神社 山梨県西八代郡市川三郷町宮原
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