役小角が開基した円楽寺、富士山信仰始源の地、11月に神輿渡御
[住所]山梨県甲府市右左口町4320-1
[電話]-
五社神社(ごしゃじんじゃ)は、山梨県甲府市右左口町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 八代郡「表門神社(甲斐国・八代郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
役小角が開基したとされる真言宗智山派の円楽寺が管理を担う。円楽寺から南西にある山の中腹に当社は鎮座する。
参道途中、その山麓には、当社を上の宮と呼ぶのに対して、下の宮とされる王子神社が鎮座し、近くには市の天然記念物に指定されている王子権現の大サクラがある。
飛鳥時代の大宝2年(702年)、役小角が当初に来て、富士山霊峯(木花咲耶姫神)の御神体を初めて開山するにあたり、五ケ所の権現を奉斎したのが創祀だという。
熊野神社とも呼ばれ、御祭神は、五所権現としての、武甕槌大神(伊豆権現)・伊邪那岐大神・天照皇大神・伊邪那美大神・経津主大神。
そのため、後世にかけて修験者による信仰が特に篤くなったという。
特に、富士山信仰の始源ということで、『甲斐国古社史考』では、富士山に対する表門と考え式内社に比定している。
明治8年(1875年)、神仏分離に際して、開祖の役小角を御祭神から分離し、村内の氏神となった。
もともとは当社のある山頂に行者堂があり、役小角像が安置されていた。行者堂が台風で破壊されたため、今は円楽寺の本堂に安置されている。
現在の本殿は権現造で、江戸時代後期の文政3年(1820年)の建立。拝殿は、昭和18年(1943年)の再建。
例祭は11月3日。宿・七覚・善藤の三区により当番組員によって神輿の渡御が行われる。
なお、王子神社の御祭神は、医薬治病の神である少彦名命・本土の神である大国主命 ・武神の素盞嗚尊。
式内社「表門神社」の論社は他に、市川三郷町と甲府市白井町に式内同名神社があり、市川三郷町宮原に正一位浅間神社がある。
また、巨麻郡には同音の式内社「宇波刀神社」があり、山梨県北杜市・甲府市・韮崎市の宇波刀神社、甲府市美咲の御崎神社が論社。
市内上今井町には当社と同名の神社がある。
【ご利益】
身体壮健、健康長寿、病魔退散
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・山梨県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、山梨県に鎮座している神社の一覧
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五社神社(ごしゃじんじゃ)は、山梨県甲府市右左口町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 八代郡「表門神社(甲斐国・八代郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
役小角が開基したとされる真言宗智山派の円楽寺が管理を担う。円楽寺から南西にある山の中腹に当社は鎮座する。
参道途中、その山麓には、当社を上の宮と呼ぶのに対して、下の宮とされる王子神社が鎮座し、近くには市の天然記念物に指定されている王子権現の大サクラがある。
飛鳥時代の大宝2年(702年)、役小角が当初に来て、富士山霊峯(木花咲耶姫神)の御神体を初めて開山するにあたり、五ケ所の権現を奉斎したのが創祀だという。
熊野神社とも呼ばれ、御祭神は、五所権現としての、武甕槌大神(伊豆権現)・伊邪那岐大神・天照皇大神・伊邪那美大神・経津主大神。
そのため、後世にかけて修験者による信仰が特に篤くなったという。
特に、富士山信仰の始源ということで、『甲斐国古社史考』では、富士山に対する表門と考え式内社に比定している。
明治8年(1875年)、神仏分離に際して、開祖の役小角を御祭神から分離し、村内の氏神となった。
もともとは当社のある山頂に行者堂があり、役小角像が安置されていた。行者堂が台風で破壊されたため、今は円楽寺の本堂に安置されている。
現在の本殿は権現造で、江戸時代後期の文政3年(1820年)の建立。拝殿は、昭和18年(1943年)の再建。
例祭は11月3日。宿・七覚・善藤の三区により当番組員によって神輿の渡御が行われる。
なお、王子神社の御祭神は、医薬治病の神である少彦名命・本土の神である大国主命 ・武神の素盞嗚尊。
式内社「表門神社」の論社は他に、市川三郷町と甲府市白井町に式内同名神社があり、市川三郷町宮原に正一位浅間神社がある。
また、巨麻郡には同音の式内社「宇波刀神社」があり、山梨県北杜市・甲府市・韮崎市の宇波刀神社、甲府市美咲の御崎神社が論社。
市内上今井町には当社と同名の神社がある。
【ご利益】
身体壮健、健康長寿、病魔退散
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