孝霊朝に創建された市川文殊、江戸前期の社殿、一之酉祭典
[住所]山梨県西八代郡市川三郷町上野字町屋2767
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表門神社(うわとじんじゃ)は、山梨県西八代郡市川三郷町上野町屋にある神社。御崎神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 八代郡「表門神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

社伝によれば、第7代孝霊天皇2年の創建とされる。単純な換算では、紀元前289年となる。御祭神は、天照大神倉稲魂命瓊々杵尊の三神。

平安時代の永保元年(1081年)、白河天皇が病の時、当社神主が召されて祈祷し、平癒したため、社頭末社にいたるまで修理造営が行われたという。

また、同時に神領地が下賜され、文殊画像の寄進を受けたため、以降は市川文殊とも呼ばれるようになった。

戦国時代の文亀(1501年-1504年)・大永(1521年-1528年)の頃は、武田氏の篤い崇敬を受けたという。

安土桃山時代の天正10年(1582年)3月3日、徳川家康の陣所となったといい、江戸時代になり、慶長14年(1609年)には家康の命で社殿が改築・造営されたという。

近世を通じて、市川文殊の他に、「市川御崎明神」「市川明神」などとも呼ばれ崇敬された。

もとは現社地に里宮本社があり、東800メートルの地に山宮が祀られていたが、今は山宮はないという。

現在の本殿や神楽殿などは江戸時代前期の元禄8年(1695年)の建立である。

本殿は三間社流造で、今は銅板で覆われているが当初は檜皮葺。蟇股・ 脇障子・手狭などに獅子・鶴・鳳凰などの動物の彫刻が精巧に施され、彩色がされている。

正面扉には金箔が貼られている。棟札によれば、大工は石川久左衛門家久・重良とあり、下山大工の作であることが知られる。

江戸時代後期の文化15年(1818年)に屋根替が行なわれているが、他に大きな改変部分 はなく、当初の形態をよく残している。

神楽殿や他の拝殿・隋神門・鳥居も同時期のもので、境内の景観を一新したものと思われる。

以前は2月第一の酉の日、今は毎年2月第1日曜日に行われる一之酉祭典と呼ばれる例祭では、この神楽殿で平安時代から受け継がれている、町指定文化財「太太神楽」が奉納される。

鳥居の総高2.74メートル、柱幅2.57メー トルという背の低い安定感に富んだ春日型の石鳥居がある。鎌倉時代の作と考えられ、県の文化財に指定されている。

表門(うわと)は特殊な読みだが、『延喜式神名帳』には「ウヘトノ・ウハトノ」とある。同じ読みの式内社が巨麻郡に宇波刀神社としてある。

巨麻郡の宇波刀神社では、山梨県北杜市甲府市韮崎市の宇波刀神社の他、甲府市美咲の御崎神社が論社であり、御崎神社は当社の通称と同じでもある。

なお、式内社「表門神社」の論社は他に、町内宮原の正一位浅間神社と、甲府市の右左口町の五社神社と、白井町の当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
開運招福、病気平癒、学業・受験合格
表門神社 山梨県西八代郡市川三郷町上野町屋
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