靱部を賜った大伴武日に由来、源義清の歌、家康が愛でた老松
[住所]山梨県西八代郡市川三郷町市川大門6373
[電話]055-288-0003
弓削神社(ゆげじんじゃ)は、山梨県西八代郡市川三郷町市川大門にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 八代郡「弓削神社(甲斐国・八代郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
第12代景行天皇40年、皇子の日本武尊は、吉備武彦命、大伴武日連らを従えて東国を平定し、その帰路、甲斐国に至り、酒折宮に駐留した。
その際、大伴連の遠祖である大伴武日に靱部を賜った。大伴武日はその後、当地に留まり、居館を造営し、周辺一帯を治めたという。
後に、当地民がその徳を慕い、その子孫とともに創建したのが当社だという。当社地は、大伴武日の居館跡であるという。
また、当社の南に弓削塚という古墳があり、大伴武日を埋葬したものと伝わる。当社の創建年代は、第13代成務天皇、あるいは第14代仲哀天皇の頃、ということになる。
御祭神は、瓊々杵尊・木花開耶姫命・彦火火出見命・日本武尊・大伴武日命。異説に、大山祇命とも。
大伴武日が賜った靱部から靱部社(ゆきべしゃ)となり、いつしか弓削社(ゆげしゃ)になったとされる。
『続日本記』大宝2年(702年)2月22日の条に、「歌斐国献二梓弓五百張。以充大宰府」とあり、古代から当地では弓を作っていたようで、当社との関連も指摘される。
平安時代になり、『日本後記』延暦24年(805年)12月20日の条に、「甲斐国巨摩郡弓削社預官社。以有霊験也」とある。
『延喜式神名帳』では八代郡となっているが、当地付近は、巨摩郡と八代郡の郡境に位置し、時代とともに所属が変わったという。
甲斐源氏の祖である刑部三郎・武田冠者と通称される源義清(1075年-1149年)が市川の郷に館していた時、当社を参詣し、下記の歌を詠じたという。
かつては鳥居の前に老松があり、形があたかも蟠竜のようで、天正10年(1582年)、徳川家康が宿陣した際、この松を見て愛賞し、後にこれを「御言葉の松」と称した。
広く近隣にその名を知られ、当社の御神木として敬仰されたが、江戸時代末期に枯死したという。
明治6年(1873年)、郷社に列した。例祭は11月3日で、神輿渡御などがある。
境内社に、白紙社(天日鷲神・津昨見神)、地主社、東照宮、衢神社などがある。
【ご利益】
武運長久・勝運、一族・子孫繁栄、地域安全

【関連記事】
・山梨県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、山梨県に鎮座している神社の一覧
[電話]055-288-0003
弓削神社(ゆげじんじゃ)は、山梨県西八代郡市川三郷町市川大門にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 八代郡「弓削神社(甲斐国・八代郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
第12代景行天皇40年、皇子の日本武尊は、吉備武彦命、大伴武日連らを従えて東国を平定し、その帰路、甲斐国に至り、酒折宮に駐留した。
その際、大伴連の遠祖である大伴武日に靱部を賜った。大伴武日はその後、当地に留まり、居館を造営し、周辺一帯を治めたという。
後に、当地民がその徳を慕い、その子孫とともに創建したのが当社だという。当社地は、大伴武日の居館跡であるという。
また、当社の南に弓削塚という古墳があり、大伴武日を埋葬したものと伝わる。当社の創建年代は、第13代成務天皇、あるいは第14代仲哀天皇の頃、ということになる。
御祭神は、瓊々杵尊・木花開耶姫命・彦火火出見命・日本武尊・大伴武日命。異説に、大山祇命とも。
大伴武日が賜った靱部から靱部社(ゆきべしゃ)となり、いつしか弓削社(ゆげしゃ)になったとされる。
『続日本記』大宝2年(702年)2月22日の条に、「歌斐国献二梓弓五百張。以充大宰府」とあり、古代から当地では弓を作っていたようで、当社との関連も指摘される。
平安時代になり、『日本後記』延暦24年(805年)12月20日の条に、「甲斐国巨摩郡弓削社預官社。以有霊験也」とある。
『延喜式神名帳』では八代郡となっているが、当地付近は、巨摩郡と八代郡の郡境に位置し、時代とともに所属が変わったという。
甲斐源氏の祖である刑部三郎・武田冠者と通称される源義清(1075年-1149年)が市川の郷に館していた時、当社を参詣し、下記の歌を詠じたという。
おのずから 心も清し みしめ縄 弓削の社の 神垣のうち現在の通称も「二の宮さん」。市川郷の二宮の意味で、市川郷の一宮は、当社南西500メートルほどに鎮座する一宮浅間神社。
かつては鳥居の前に老松があり、形があたかも蟠竜のようで、天正10年(1582年)、徳川家康が宿陣した際、この松を見て愛賞し、後にこれを「御言葉の松」と称した。
広く近隣にその名を知られ、当社の御神木として敬仰されたが、江戸時代末期に枯死したという。
明治6年(1873年)、郷社に列した。例祭は11月3日で、神輿渡御などがある。
境内社に、白紙社(天日鷲神・津昨見神)、地主社、東照宮、衢神社などがある。
【ご利益】
武運長久・勝運、一族・子孫繁栄、地域安全

【関連記事】
・山梨県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、山梨県に鎮座している神社の一覧

コメント