熊毛神が降臨した地、奈良朝に宇佐を勧請、陶氏・吉川氏の崇敬
岩隈八幡宮 山口県岩国市周東町祖生7184
[住所]山口県岩国市周東町祖生7184
[電話]0827-82-2001

岩隈八幡宮(いわくまはちまんぐう)は、山口県岩国市周東町祖生にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 周防国 熊毛郡「熊毛神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

創祀年代は不詳。第11代垂仁天皇の御代、勅願により槍を納め、この御神体を木瓜形黒漆に封じ、鎮祭したとも。

『周防国風土記』に、「古老傳曰、往古三毛入野命祖父郷天岩熊。故名之謂熊毛、今熊毛宮是也云々」とあり、『玖珂郡誌』にも「熊に似たる岩へ降臨生、熊毛神と崇ふ」とある。

熊毛神社として、三毛入野神磐余彦神玉依姫神の三座を御祭神とする。

その後、祖生郷と瀬田郷の境に鎮座木(ちんざぎ)に八流の旗が天降ったので、八幡の大神の影向を知り、奈良時代の和銅7年(714年)8月、宇佐より八幡大神を勧請したという。

八幡大神として、応神天皇仲哀天皇神功皇后の三座を御祭神とする。

この勧請から間もなく、養老5年(721年)に玖珂郡が熊毛郡から分離独立した。『延喜式神名帳』の時には熊毛郡には属していなかったという指摘がある。

室町時代になると、祖生地方は陶氏が知行し、当社もまた陶氏らの庇護を受けた。

戦国時代の永正10年(1513年)、陶興房を大檀那とし楼門が再興された。この時の礎石と思われる石が現存している。

さらに天文3年(1534年)11月、宝殿が造立され、天文14年(1545年)4月8日から22日にかけて上棟が行われた。

天正2年(1574年)から天正3年(1575年)にも社殿の改築がなされている。

江戸時代になり、その前期の元禄4年(1691年)9月5日、周防国岩国領4代領主吉川広紀が玖珂久重山、現在の玖珂町に遷宮した。

その後、災害が多くなり、宝永3年(1706年)6月の台風で破損。村民は恐れて旧地である当地に社殿再建願いを出し、宝永5年(1708年)4月19日に本殿を建立した。

その際、玖珂町から旧地である当社に再度勧請し直したという。玖珂町にも現在、同名の神社があるのはこのためである。

岩隈山山頂は落雷も多く、幕末の慶応年間(1865年-1868年)にも火災に見舞われたという。

現在の本殿は明治2年(1869年)、吉川藩主が神殿材料全部を寄付して再建されたもの。

現在までに、住吉大神として、表筒男神中筒男神底筒男神住吉三神の三座も併せて祀る。例祭は10月8日・9日。

境内社に、白砂山神社(罔象女命大己貴命天御中主命大歳大神)、菅原神社(菅原道真公)、豊国稲荷社(宇迦之御魂命)などがある。

なお、式内社「熊毛神社」の論社は他に、周南市呼坂の熊毛神社、周南市樋口の大歳神社、柳井市の賀茂神社がある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、厄災除け、交通安全
岩隈八幡宮 山口県岩国市周東町祖生
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