飛鳥朝に出雲熊野大社を勧請した式内論社、足利尊氏の再建と寄進
[住所]山口県周南市樋口931
[電話]-
大歳神社(おおとしじんじゃ)は、山口県周南市樋口にある神社。『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 周防国 熊毛郡「熊毛神社」に比定される式内社(小社)の論社。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、飛鳥時代の大化元年(645年)、第36代孝徳天皇の勅願により、出雲国熊野大社から素盞嗚尊・稲田姫尊・大己貴命の3神を勧請して創建された。
もとは「王歳大明神」と称したが、後に「大歳」となり、現社号につながっていく。
御祭神については、『山口県神社誌』では素盞嗚尊・大歳神・大己貴命としている。大歳神は素盞嗚尊と神大市比売命の子であり、稲田姫尊にとっては、夫の愛人の子にあたる。
現社名で稲田姫尊が祀られているのは微妙だが、現社名は大歳神に由来するのではなく、後世の転化と考えればよいか。
南北朝時代の暦応2年(1339年)、足利尊氏の命によって再建され、社領地が寄進された。
しかし、戦国時代の大永2年(1522年)、当時の領主により神田が没収され、わずかな境内地と山林2ヶ所を残すのみとなった。
江戸時代になり、中期の寛政4年(1792年)4月、後期の文化14年(1817年)3月に社殿再建の記録が残る。
江戸時代後期の嘉永4年(1851年)、茂木十郎右衛門は売地の取得に奔走し、一部氏子の寄付を募った。
他方、頼母子講を起こし、樋口において田地1反2畝24歩と1畝22歩の地を入手し、これを社地として寄進したという。
明治28年(1895年)8月、昭和59年(1978年)2月に拝殿が改築・改修され、昭和63年(1988年)4月にも社殿が修復された。
例祭は9月29日。なお、式内社「熊毛神社」の論社は他に、市内呼坂の熊毛神社、柳井市の賀茂神社、岩国市周東町の岩隈八幡宮がある。
【ご利益】
武運長久・勝運、家内安全、五穀豊穣、牛馬の守護

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大歳神社(おおとしじんじゃ)は、山口県周南市樋口にある神社。『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 周防国 熊毛郡「熊毛神社」に比定される式内社(小社)の論社。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、飛鳥時代の大化元年(645年)、第36代孝徳天皇の勅願により、出雲国熊野大社から素盞嗚尊・稲田姫尊・大己貴命の3神を勧請して創建された。
もとは「王歳大明神」と称したが、後に「大歳」となり、現社号につながっていく。
御祭神については、『山口県神社誌』では素盞嗚尊・大歳神・大己貴命としている。大歳神は素盞嗚尊と神大市比売命の子であり、稲田姫尊にとっては、夫の愛人の子にあたる。
現社名で稲田姫尊が祀られているのは微妙だが、現社名は大歳神に由来するのではなく、後世の転化と考えればよいか。
南北朝時代の暦応2年(1339年)、足利尊氏の命によって再建され、社領地が寄進された。
しかし、戦国時代の大永2年(1522年)、当時の領主により神田が没収され、わずかな境内地と山林2ヶ所を残すのみとなった。
江戸時代になり、中期の寛政4年(1792年)4月、後期の文化14年(1817年)3月に社殿再建の記録が残る。
江戸時代後期の嘉永4年(1851年)、茂木十郎右衛門は売地の取得に奔走し、一部氏子の寄付を募った。
他方、頼母子講を起こし、樋口において田地1反2畝24歩と1畝22歩の地を入手し、これを社地として寄進したという。
明治28年(1895年)8月、昭和59年(1978年)2月に拝殿が改築・改修され、昭和63年(1988年)4月にも社殿が修復された。
例祭は9月29日。なお、式内社「熊毛神社」の論社は他に、市内呼坂の熊毛神社、柳井市の賀茂神社、岩国市周東町の岩隈八幡宮がある。
【ご利益】
武運長久・勝運、家内安全、五穀豊穣、牛馬の守護

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