もとは大斎原に鎮座、川辺王子跡、中村王子跡の楠本神社を合祀
力侍神社 和歌山県和歌山市川辺61
[住所]和歌山県和歌山市川辺61
[電話]073-461-5048

力侍神社(りきしじんじゃ)は、和歌山県和歌山市川辺にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 紀伊国 牟婁郡「天手力男神社(紀伊国・牟婁郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

社伝によれば、当初は田辺市本宮町、熊野本宮大社の旧社地である大斎原に鎮座していたが、平安時代中期に現社地の東北方である神波(こうなみ)の字桑畑に遷座した。

御祭神は、天手力男命。麻為比売命であるともされる。現在までに、猿田彦命の他、13柱が配祀されている。

『紀伊続風土記』では、『紀伊国神名帳』名草郡に見える地祇30社中の「従四位上 雨手力男神」が当社のこととしている。

手力男命の神名とその功業から「力士」の社名が生じ、それが転じて「力侍」になったもの、とも。

その後、神波に西隣する上野の八王子神社の鎮座地に遷座、江戸時代初期の寛永3年(1626年)3月に神託により八王子神社とともに現在地に遷座した。

八王子神社は摂社として向かって右側の東側に並び祀られるようになり、以来川辺、楠本、島、神波の4ヶ村の産土神とされた。

八王子神社は、主祭神が天之忍穂耳命五男三女命八衢彦命・八衢姫命で、天児屋根命他11柱を配祀する。

天正年間(1573年-1593年)の豊臣秀吉による紀州制圧により、八王子神社は社地が全て没収され、その際に古文書類も紛失したという。

『紀伊続風土記』によれば、円鏡山山王院という仁和寺真乗院の末寺が別当神宮寺として境内に置かれていたという。後に廃寺となった。

明治6年(1873年)、村社に列し、明治43年(1910年)に付近一帯の神社を合祀した。

旧神波村に当初の鎮座地の遺祠と思われる小祠があったが、これもこの時に合祀された。

また、同時に九十九王子である中村王子の旧跡とされる楠本の楠本神社を合祀した。現在は玉垣内八王子神社の東に鎮座する。

楠本神社は、延暦5年(786年)に、楠本に棲息していた大蜘蛛を退治した坂上田村麻呂によって創祀されたと伝え、近世には「楠本神社」や「楠本大明神」と称された。

『紀伊国神名帳』にも「従四位上 楠本大神」と記載されている。御祭神は楠大明神とされるが、熊野樟日命とする説もある。

同じく川辺王子の跡とされる上野の八王子社(上野の旧地に遺存した小祠)も合祀された。

本殿は一間社流造杮葺で、摂社八王子神社の本殿とともに、県の有形文化財に指定されている。

社地は熊野九十九王子である川辺王子の遺跡「川辺王子跡」として県の史跡に指定されている。

例祭は10月10日。なお、式内社「天手力男神社」の論社は他に、熊野速玉大社の境内社である手力男神社、現在は大斎原の末社となっている海神社がある。

【ご利益】
技芸・スポーツ向上、地域安全
力侍神社 和歌山県和歌山市川辺
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