食の神、非業の死を遂げた日野資朝・大膳坊賢栄を合祀、能舞台
[住所]新潟県佐渡市竹田561
[電話]0259-55-2953

大膳神社(おおぜんじんじゃ)は、新潟県佐渡市竹田にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 佐渡国 雑太郡「御食神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。御祭神は御食津大神で、現在は正殿に祀られる。

もとは御食神社と呼ばれたようだが、御食神は『延喜式』神名帳 宮中京中 宮中坐神 大膳職坐神三座の一つ御食津神社があったため、大膳大明神と称され、これが定着したと思われる。

あるいは下記の、現在の合祀神である大膳坊賢栄の影響が大きいか。

鎌倉時代後期の元亨4年(1324年)9月、後醍醐天皇による討幕計画が事前に発覚し首謀者が処分された。いわゆる正中の変である。

これによって佐渡配流となった日野資朝。その子に阿新丸がいた。聖護院宮に仕えた大膳坊賢栄は、阿新丸を京都より案内し、佐渡の父・資朝に会わせようとした。

しかし、雑太城主本間山城守がこれを許さず、日野資朝を誅した。

阿新丸は仇を討つため、大膳坊賢栄の助けを得て、本間山城守の館に潜入し、本間山城守の弟三郎を殺し、京都へ逃げた。

本間山城守は激怒して大膳坊賢栄を処刑したが、その後、数々の祟りがあり、日野資朝と大膳坊賢栄を当社に合祀した。

現在は正殿の御食津大神に対して、左殿に日野資朝卿、右殿に大膳坊賢栄となっている。

ちなみに、資朝は元弘2年/正慶元年(1332年)、確かに佐渡で処刑されたが、これは元弘元年(1331年)に天皇老臣の吉田定房の密告で再び討幕計画が露見して元弘の乱が起きたため。

父子再会を許さず誅したというのも少し乱暴か。ともかく、明治4年(1871年)、村社に列した。

当社はとにかく能舞台で有名である。現在のものは江戸時代後期の弘化2年(1846年)に再建された。

佐渡に現存する最古の能舞台とされ、本舞台、後座、地謡座、橋掛り、裏通路などからなる。県の有形民俗文化財に指定されている。

かつて宝生流の太夫家から選ばれた国仲四所の御能場の一つ。格式の高い舞台として能以外には使わせなかったという。

佐渡では能が盛んで、また真野地区には佐渡鷺流狂言も伝えられており、現在も4月の当社例祭を皮切りに、10月まで上演されている。

なお、式内社「御食神社」の論社は他に、宮川に式内同名神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、技芸・スポーツ向上
大膳神社 新潟県佐渡市竹田
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