成務朝の創祀、式内論争の激しさへの反省から生まれた式内踊り
[住所]山口県周南市大向1648
[電話]-
二俣神社(ふたまたじんじゃ)は、山口県周南市大向にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 周防国 都濃郡「二俣神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
第13代成務天皇59年、二俣山に創祀されたと伝わる。もとは現社地の前方を北から南に貫流する錦川を越えた東方の金峰山に鎮座したとも。
二俣山がつまり、金峰山だろうか。御祭神は、大物主神・八千矛神・櫛稲田姫命。瀧ノ明神、あるいは二俣宮真名井の水とも号したという。
式内社「二俣神社」は、平安時代の天安2年(858年)3月、官社に預り、貞観9年(867年)8月16日、正五位下に叙された。
当社には、戦国時代の長享3年(1789年)4月16日、大内弘武が神殿を建立、慶長3年(1598年)11月10日には毛利輝元が造営したとの記録が残る。
また、慶長18年(1613年)の他にも、元禄13年(1710年)4月16日には周防徳山藩3代藩主毛利元次が社殿を建立した。
江戸時代中期の天明2年(1782年)、現社地に遷座した。
現在の社殿後背の面積約800平米の社叢は、樹齢約300年の自然林の様相が保たれ、山頂には目通りの周囲3.7メートル、樹高約20メートルの自生のヒノキがある。
他に主な大木は、ツクバネガシ、ウラジロガシ、アカガシ、アラカシ、アカシデが混生し、珍らしく、尊厳な鎮守の森と評価されている。
例祭は10月25日。当社には、式内踊りが伝わる。現社地への遷座前、江戸時代前期の頃のこと。
大向・長穂・鹿野の各村の氏子が集まって春秋の例祭や夏の青田御祈祷の祭りを行っていたが、ある時、各村で御神体の奪い合いになり、錦川に投げ入れられてしまった。
慌てた神主が川に飛び込み、元通りに安置したが、その年から日照りや洪水が絶えず、稲穂は枯れ、大飢饉となったという。
大向の当社、長穂の二俣神社周方明神、鹿野の二所神社の各村氏子は反省し、当社の若者を代表として伊勢の神宮(伊勢神宮)に参拝させた。
その道中に習い覚え、伝えられたのが式内踊り。式内論争の激しさが御神体の奪い合いで現れ、その反省から生まれたのは、やはり「式内」踊りというのが興味深い。
沐浴し身を清めた若者が、五穀豊穣、疫病退散、神の加護を願って踊りを奉納する。道行きから筑羽根(つくはね)まで24種類の踊りがある。
5年または7年ごとの八朔祭で踊り継がれ、昭和30年(1955年)には式内踊保存会が結成され、伝承に努めている。
境内社に菅原神社があり、猿田彦石碑などがある。北隣には、出雲大社大向教会所がある。
【ご利益】
五穀豊穣、病魔退散、地域安全

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二俣神社(ふたまたじんじゃ)は、山口県周南市大向にある神社。御朱印の有無は不明。
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第13代成務天皇59年、二俣山に創祀されたと伝わる。もとは現社地の前方を北から南に貫流する錦川を越えた東方の金峰山に鎮座したとも。
二俣山がつまり、金峰山だろうか。御祭神は、大物主神・八千矛神・櫛稲田姫命。瀧ノ明神、あるいは二俣宮真名井の水とも号したという。
式内社「二俣神社」は、平安時代の天安2年(858年)3月、官社に預り、貞観9年(867年)8月16日、正五位下に叙された。
当社には、戦国時代の長享3年(1789年)4月16日、大内弘武が神殿を建立、慶長3年(1598年)11月10日には毛利輝元が造営したとの記録が残る。
また、慶長18年(1613年)の他にも、元禄13年(1710年)4月16日には周防徳山藩3代藩主毛利元次が社殿を建立した。
江戸時代中期の天明2年(1782年)、現社地に遷座した。
現在の社殿後背の面積約800平米の社叢は、樹齢約300年の自然林の様相が保たれ、山頂には目通りの周囲3.7メートル、樹高約20メートルの自生のヒノキがある。
他に主な大木は、ツクバネガシ、ウラジロガシ、アカガシ、アラカシ、アカシデが混生し、珍らしく、尊厳な鎮守の森と評価されている。
例祭は10月25日。当社には、式内踊りが伝わる。現社地への遷座前、江戸時代前期の頃のこと。
大向・長穂・鹿野の各村の氏子が集まって春秋の例祭や夏の青田御祈祷の祭りを行っていたが、ある時、各村で御神体の奪い合いになり、錦川に投げ入れられてしまった。
慌てた神主が川に飛び込み、元通りに安置したが、その年から日照りや洪水が絶えず、稲穂は枯れ、大飢饉となったという。
大向の当社、長穂の二俣神社周方明神、鹿野の二所神社の各村氏子は反省し、当社の若者を代表として伊勢の神宮(伊勢神宮)に参拝させた。
その道中に習い覚え、伝えられたのが式内踊り。式内論争の激しさが御神体の奪い合いで現れ、その反省から生まれたのは、やはり「式内」踊りというのが興味深い。
沐浴し身を清めた若者が、五穀豊穣、疫病退散、神の加護を願って踊りを奉納する。道行きから筑羽根(つくはね)まで24種類の踊りがある。
5年または7年ごとの八朔祭で踊り継がれ、昭和30年(1955年)には式内踊保存会が結成され、伝承に努めている。
境内社に菅原神社があり、猿田彦石碑などがある。北隣には、出雲大社大向教会所がある。
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