式内論社「二俣神社」を合祀、いずれも雄略・清寧朝創建の古社
[住所]山口県周南市長穂1303
[電話]0835-23-6945
周方神社(すわじんじゃ)は、山口県周南市長穂にある神社。国道315号線、向道ダム、長穂公民館、長穂郵便局の近く。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 周防国 都濃郡「二俣神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
二俣周防両大明神とも、二俣神社周方大明神とも称された。二俣神社と周方神社が合併した神社である。
二俣神社が式内論社で、第21代雄略天皇8年に長田に鎮座したもの。後に宮原の亀山に遷座した。
式内社「二俣神社」は、平安時代の天安2年(858年)3月、官社に預り、貞観9年(867年)8月16日、正五位下に叙された。
ただし二俣神社は、文禄年間(1593年-1596年)に炎上焼失、式内社「二俣神社」としての由緒など古書類も失ったという。
大向の二俣神社、鹿野の二所山田神社との式内論争が起こり、元禄2年(1689年)、亀山の地も手狭となったため、現在地の周方神社に合祀された。
周方神社は、第22代清寧天皇の御宇、出雲国から建御名方神を勧請したもの。もとは字下筋に鎮座したが、後に長田に遷座、さらに現在地に遷座した。
周方は容易に周防(すおう)を連想させるが、読みは「すわ」。出雲国からの勧請だが、建御名方神にちなむ諏訪だろう。
諏訪→周方→周防という地名の変遷が考えられ、であれば、当社は周防国の国名の起源の可能性がある。
合祀後は式内二俣神社周方大明神とも称したが、明治4年(1871年)、現社号に改称し、明治7年2月、郷社に列した。
現在、当社の主祭神は建御名方神で、大物主神・八千矛神を配祀する。配祀神は、旧二俣神社の御祭神だろうか。
例祭は4月23日と10月23日。境内社に、亀山神社・厳島神社・恵美須神社などがある。
【ご利益】
家内安全、健康長寿、病気平癒
【関連記事】
・山口県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、山口県に鎮座している神社の一覧
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周方神社(すわじんじゃ)は、山口県周南市長穂にある神社。国道315号線、向道ダム、長穂公民館、長穂郵便局の近く。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 周防国 都濃郡「二俣神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
二俣周防両大明神とも、二俣神社周方大明神とも称された。二俣神社と周方神社が合併した神社である。
二俣神社が式内論社で、第21代雄略天皇8年に長田に鎮座したもの。後に宮原の亀山に遷座した。
式内社「二俣神社」は、平安時代の天安2年(858年)3月、官社に預り、貞観9年(867年)8月16日、正五位下に叙された。
ただし二俣神社は、文禄年間(1593年-1596年)に炎上焼失、式内社「二俣神社」としての由緒など古書類も失ったという。
大向の二俣神社、鹿野の二所山田神社との式内論争が起こり、元禄2年(1689年)、亀山の地も手狭となったため、現在地の周方神社に合祀された。
周方神社は、第22代清寧天皇の御宇、出雲国から建御名方神を勧請したもの。もとは字下筋に鎮座したが、後に長田に遷座、さらに現在地に遷座した。
周方は容易に周防(すおう)を連想させるが、読みは「すわ」。出雲国からの勧請だが、建御名方神にちなむ諏訪だろう。
諏訪→周方→周防という地名の変遷が考えられ、であれば、当社は周防国の国名の起源の可能性がある。
合祀後は式内二俣神社周方大明神とも称したが、明治4年(1871年)、現社号に改称し、明治7年2月、郷社に列した。
現在、当社の主祭神は建御名方神で、大物主神・八千矛神を配祀する。配祀神は、旧二俣神社の御祭神だろうか。
例祭は4月23日と10月23日。境内社に、亀山神社・厳島神社・恵美須神社などがある。
【ご利益】
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