右田ヶ岳、仲哀天皇が奉斎、神功皇后が雄たけびをあげた坂
[住所]山口県防府市高井1154-1
[電話]0835-23-6945

剣神社(つるぎじんじゃ)は、山口県防府市高井にある神社。『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 周防国 佐波郡「剣神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

社伝によれば、第14代仲哀天皇が熊襲親征の際、当地に行幸、賊徒降伏を祈願して、「八握(やつか)の剣」を御神体とし、武勇の神である素盞嗚尊を鎮祭したのが始まり。

現在までに、武甕槌命日本武尊をも祀る。参道直線上に遠く右田ヶ岳を望み、立地的には、右田ヶ岳を御神体山とする信仰だったのだろう。

神功皇后は三韓征伐の際、傍の坂に登り、海上を臨み、御神徳の加護を祝し、群臣とともに勝利の雄叫びをあげたと伝わる。

この坂は現在、当社から262号線を北上したところ、右田ヶ岳の側にあたり、往時は勝獲坂と呼ばれ、現在は勝坂となっている。

平安時代中期の長暦年間 (1037年-1040年)までは国幣使を立てられていたという。

平安時代末期、源平合戦のころ、源義経が西下の際参拝して弓矢鎧鉾を奉納。

戦国時代になり、大内・毛利氏代々も尊崇厚く、広大な神田を寄進して戦勝と領内平穏、五穀豊穣を祈願したという。

また、豊臣秀吉も九州進発の時に、当社において願をかけ、帰陣の後、唐の太鼓を寄進した。

明治維新後に郷社に列した。また、昭和43年(1968年)12月1日、山形県の居合神社(林崎重信命)の御分霊を配祀した。

林崎重信は、林崎甚助とも。戦国時代から江戸時代初期にかけての剣客である。居合(抜刀術)の始祖とされる。剣つながりだろうか。

例祭は9月27日・28日。現在は、参道・社殿の延長線上すぐに山陽新幹線が走り、右田ヶ岳との間が遮断される形になっている。

【ご利益】
武運長久・勝運、事業成功
剣神社 山口県防府市高井右田
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