来島の中央高官を慰霊、山中鹿之助が祈願、みのはらの天神さん
[住所]島根県隠岐郡隠岐の島町港町天神原68
[電話]08512-2-1228

水祖神社(みおやじんじゃ)は、島根県隠岐郡隠岐の島町港町天神原にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陰道神 隠岐国 周吉郡「水祖神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創建年代は不詳。社殿後背の裏山は古墳であるとも伝える。『隠州神名帳』にも「従四位 水祖明神」の記載が見える。

御祭神は水祖神であるが、罔象女神とされるのが一般的。

ただ、当社では、古来要衝だった隠岐に来た中央高官で、帰京することなく生涯を終えた者たちを、海岸の丸いきれいな石を積上げ慰霊したのが始源としている。

戦国時代の元亀3年(1572年)ごろか、尼子家忠臣 山中鹿之助幸盛が隠岐国府尾城主 佐々木為清に援軍を求めて来島した際、主家尼子家再興を祈願に、当社へ参詣したと伝えられる。

また、戦国時代までには、菅原道真を祀る天満宮と認識されていた。現在も「天神さん」と通称されている。

昔、中條地区八尾川上流沿いの小さな祠に道真を祀った天神社があり、ある年の大水で その祠が当社境内まで流出、合祀したという。

当社の森の裾野は満潮時には浅瀬となり、潮が引くと陸地になるので、その有様を水の原(みのはら)と呼び、「みのはらの天神」と呼ばれたという。

戦国時代の天文22年(1554年)の棟札では「天満大自在天神」とあるほか、江戸時代の正保3年(1646年)・寛文10年(1670年)の棟札でも天満天神を祀る社とある。

寛文7年(1667年)の『隠州視聴合記』や貞享5年(1688年)の『隠州記』にも天満宮として記載が見える。

その後、幕末の『隠岐古記集』に「郷祖神社」とあり、明治維新後に現社号に改称、明治5年(1872年)、郷社に列した。

なお、隠岐の島町八田榎原にも同名の神社があり、当社の元宮であるとの伝承があり、時に式内論社となる場合もある。

例祭は7月26日。西町・港町の熊野神社・大川神社・東山神社・松尾神社・御崎神社・国府尾神社・当社の七杜が参加し、当番社を定め、地区住民が会同で行う。

前日の7月25日を含め、川祭りとして、八尾川の安全厄除け祈願の行事から御輿を出し、お旅祭りで町内の渡御式を行う。

【ご利益】
水難除け、海上安全、学業・受験合格
水祖神社 島根県隠岐郡隠岐の島町港町天神原
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