当目山、いわゆる虚空蔵山の南西麓、境内社に武田方武将を祀る
[住所]静岡県焼津市浜当目3-12-13
[電話]054-628-6049
那閉神社(なへじんじゃ)は、静岡県焼津市浜当目にある神社。『延喜式神名帳』にある「那閉神社(駿河国・益頭郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝によれば、第26代継体天皇3年(509年)、物部氏の勧請により創祀された。御祭神は、八重事代主命・大国主命。
はじめ鍋崎海中の神の岩に祀られたが、後に神奈備山である当目山、いわゆる虚空蔵山の南西麓に遷座した。現在も通称は「虚空蔵さん」。
この山の東北側には断崖があり、いくつかの岩窟があって、「御座穴」と呼ばれ、神の御座した穴だという。
駿河の枕詞に「うちよする」という言葉があり、海上からの漂着神を祀るエビス信仰と関連するという。神紋も柏紋で、恵比須神の代表紋。
『駿河国神名帳』には、正五位下「奈閉天神」との記載がある。「那閉」は、「波邊」とも。
江戸時代には、別当寺として願成寺があり、鍋嶋大明神・鍋神社・鍋崎大明神とも称した。例祭は10月第3日曜日。
文政5年(1822年)銘の常夜灯があり、現在は市指定有形文化財。
境内社に、津島神社(須佐之男命)、青木神社(須藤左門)、稲荷神社(豊受神・御食神・宇迦之御霊神)がある。
須藤左門は戦国時代の武田方の武将。当社地近くの青木の森付近で、用宗(持舟)城にいる武田勢と徳川勢の間で合戦が起きた。
槍の名手として名高かった須藤左門は、次々と徳川方武将を倒したが、石川という兵と槍をあわせた。
石川は今回が初陣の若武者で、須藤左門にかなうはずもなく、簡単に組み敷かれたが、須藤左門は石川のあまりの若さに故郷の息子たちを思い出し、背を向けた。
その隙を狙って、石川は須藤左門を討ち取り、この手柄により旗本に出世した。しかし何代か後に、石川家の当主が駿府城に行くたびに急死した。
須藤左門の祟りとされ、その怒りを鎮めるために造られたのがこの青木神社である。
【ご利益】
大漁満足・商売繁盛、病気平癒、諸願成就
【関連記事】
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
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那閉神社(なへじんじゃ)は、静岡県焼津市浜当目にある神社。『延喜式神名帳』にある「那閉神社(駿河国・益頭郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝によれば、第26代継体天皇3年(509年)、物部氏の勧請により創祀された。御祭神は、八重事代主命・大国主命。
はじめ鍋崎海中の神の岩に祀られたが、後に神奈備山である当目山、いわゆる虚空蔵山の南西麓に遷座した。現在も通称は「虚空蔵さん」。
この山の東北側には断崖があり、いくつかの岩窟があって、「御座穴」と呼ばれ、神の御座した穴だという。
駿河の枕詞に「うちよする」という言葉があり、海上からの漂着神を祀るエビス信仰と関連するという。神紋も柏紋で、恵比須神の代表紋。
『駿河国神名帳』には、正五位下「奈閉天神」との記載がある。「那閉」は、「波邊」とも。
江戸時代には、別当寺として願成寺があり、鍋嶋大明神・鍋神社・鍋崎大明神とも称した。例祭は10月第3日曜日。
文政5年(1822年)銘の常夜灯があり、現在は市指定有形文化財。
境内社に、津島神社(須佐之男命)、青木神社(須藤左門)、稲荷神社(豊受神・御食神・宇迦之御霊神)がある。
須藤左門は戦国時代の武田方の武将。当社地近くの青木の森付近で、用宗(持舟)城にいる武田勢と徳川勢の間で合戦が起きた。
槍の名手として名高かった須藤左門は、次々と徳川方武将を倒したが、石川という兵と槍をあわせた。
石川は今回が初陣の若武者で、須藤左門にかなうはずもなく、簡単に組み敷かれたが、須藤左門は石川のあまりの若さに故郷の息子たちを思い出し、背を向けた。
その隙を狙って、石川は須藤左門を討ち取り、この手柄により旗本に出世した。しかし何代か後に、石川家の当主が駿府城に行くたびに急死した。
須藤左門の祟りとされ、その怒りを鎮めるために造られたのがこの青木神社である。
【ご利益】
大漁満足・商売繁盛、病気平癒、諸願成就
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