六社大明神、海神二座6柱を祀る、隔年7月に船渡御、10月に御蒸祭
[住所]島根県隠岐郡西ノ島町別府409
[電話]-

海神社(あまじんじゃ)は、島根県隠岐郡西ノ島町別府にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陰道神 隠岐国 知夫郡「海神社二座」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創建年代は不詳。本殿の背後に古墳があり、境内隣接地からは黒曜石製の石鏃などが出土していることから、古くからの社地だったようだ。

先住の海人が奉斎したものと考えられている。国内神名帳『隠州神名帳』に「従三位上 海原明神」と「従四位上 云海彦明神」が見え、このいずれかである可能性もある。

ただし、近世以前の由緒、沿革は不詳とするほかない。式内社比定にも異説はあるが、論社とするほど有力なものはないようである。

近世になって六社大明神と称された。現在に至るまで、正式には御祭神は不詳であるが、下記のように説がある。

『島前村々神名記』によれば、当社は「別府村 六社大明神」で、「志賀三社一座、住吉三社一座」を祀るとしている。

『延喜式神名帳』の二座を綿津見三神と住吉三神に充て、それぞれ3柱の計6柱を祀るということになる。

綿津見三神は、底津綿津見神中津綿津見神上津綿津見神
住吉三神は、底筒之男神中筒之男神上筒之男神

いずれも、伊邪那岐神が禊を行った際に、それぞれ上下ペアで誕生した6柱で、一般的に海神。

『島前旧社取調帳』にも、9寸程の神像が6躯、紐鏡が2面あると報告されている。6柱、二座に合致する。

明治まで祭神を「ワタツミノカミノヤシロフタクラ」と唱えて来たともいう。であれば、「少童神二座」を意味することになる。

明治5年(1872年)10月、現社号に改称して村社に列し、以後、鎮座地である別府の氏神として崇められている。

例祭は7月21日。『旧社取調帳』には隔年6月20日・21日に「大祭」が行われるとあるが、これは船渡御祭のこと。

現在は毎年7月21日に例祭を、隔年7月21日・22日に船渡御祭が斎行され、船渡御の行われる年には、21日の夜に隠岐島前神楽が奉納される。

なお、この船渡御祭の起源は不明であるが、近世になって断絶したものを江戸時代後期の弘化4年(1847年)に再興したとの記録が残されている。

10月21日には御蒸祭がある。新穀1斗2升を炊いて12膳に分け、神前に献じる。かつては9月29日に小祭として行われていたが、現在は秋季大祭として斎行されている。

神職は代々宇野氏の世襲だった。明治初年に職を離れた。

宇野氏は本姓藤原氏で、天正年間(1573年-1593年)に豊臣秀吉に追われて隠岐へ来島、寛文年間(1661年-1673年)から奉仕するようになったという。

本殿は梁間1間桁行2間の隠岐造銅板葺で、幕末の慶応3年(1867年)の造替。幣殿を経て拝殿に連絡する。幣殿、拝殿ともに銅板葺。他に御輿庫などがある。

境内社に、伊勢社・稲荷社がある。

【ご利益】
海上安全、大漁満足、家内安全
海神社 島根県隠岐郡西ノ島町別府
【関連記事】
島根県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、島根県に鎮座している神社の一覧