伊勢鎮座の際に女神を奉斎、近世以降は九頭明神、村の鎮守に
乎美祢神社 三重県伊賀市桂170
[住所]三重県伊賀市桂170
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乎美祢神社(をみねじんじゃ)は、三重県伊賀市桂にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 伊賀国 伊賀郡「乎美祢神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

社伝によれば、倭姫命による伊勢の神宮(伊勢神宮)鎮座の際、豊受姫命を祀って創建されたという。

あるいは、機殿として、麻績屋姫神を祀った、または、玉桂屋姫命を祀ったなどとも。どちらにしろ女神を祀ったことにはなる。

御祭神は、乎美彌神とされるが、不詳と言わざるを得ない。素盞鳴尊とする説もあるが、女神からは外れる。後述の九頭明神としての御祭神のことか。

物部氏出石心大臣命の孫で、大彦命の叔父であるという大峯大尼命という神名も挙げられる場合もある。

もとの鎮座地は宝羅山とも呼ばれる大峯山・大峰山だったというが、近辺にはそうした名称の山は見当たらない。

ただ、社号が当初鎮座地の地形から、小峯・大峯にちなんで命名されたとされている。

『延喜式神名帳』をはさんで、他の資料では当社を確認できない。戦国時代の天文10年(1541年)11月28日、現在地に鎮座したという。

奈良県と名張市、伊賀市の境界に近い桂の集落の入口に社号標が立ち、集落の最奥、狭隆な道を下った最も低い場所に鎮座する。

近世以降は九頭明神と呼ばれ、村の氏神となった。鎮座地からして、桂集落の鎮守としてしか考えられない。

江戸時代初期の寛永16年(1639年)2月、造営の記録があるという。

明治4年(1871年)、村社に列し、現社号に改称した。明治41年(1908年)5月、予野の春日神社、現在の花垣神社に合祀された。

合祀後も境内林・社地・鳥居・社殿などは残され、祭祀は続けられた、とも、戦後になって復社した、とも。

明治以降の神社合併は三重県で特にすさまじかったが、このような、村の鎮守としてしか考えられない神社まで強引に合祀するところに、無理があったようだ。

【ご利益】
五穀豊穣、家内安全、地域安全、縁結び
乎美祢神社 三重県伊賀市桂
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