奈良の東大寺二月堂や正月堂にゆかりの鵜宮天神、11月秋祭り
[住所]三重県伊賀市島ヶ原4639
[電話]0595-59-2065

鸕宮神社(うのみやじんじゃ)は、三重県伊賀市島ヶ原にある神社。難字のため、うの宮神社とも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 伊賀国 山田郡「鳥坂神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

伝承によれば、奈良時代の天平勝宝4年(752年)、奈良東大寺の実忠和尚が開創した村内の正月堂との関係が深い。

南都において、二月堂での修二会(しゅにえ)の行法に全国1万3700余所の神々を勧請した際、釣りをして遅参した若狭国遠敷明神が後悔した。

そこで遠敷明神は、実忠和尚の夢枕に立って、若狭の清水を毎年の修二会行法中に観世音に献ずる旨伝えた。

明けて翌朝、二月堂参道下の岩石が裂け、白黒二羽の鸕(う)が裂け目から飛び立ち、清水がこんこんと湧き出したという。

このことから修二会の行法が「お水取り」の名で有名になり、実忠が感銘して遠敷明神を良弁杉の下に祀り、 鸕にちなんで「鸕宮社」と称し、衆庶も大いに尊敬した。

その後、二月堂の鸕宮社を、正月堂の東南の地、つまり現在地に奉祀した。これが当社の創始となる。

御祭神は、事代主命。遠敷明神ではなく、その御祭神である彦火火出見尊でもないが、「釣り」や、海からの連想、また、「えびす」としての共通項がある。

安土桃山時代の天正11年2月25日(1583年)の洪水の際、菅原道真の御神体が流れ着いて、上川原の梅樹に止まったのを、里人が邸内社に合祀した。

その後、夢のお告げにより、雷除天神として当社に合祀し、雷除の霊験を発揮したという。寛文6年(1666年)5月、神恩奉謝で奉納された四角灯籠が拝殿左裏にある。

当時は、鵜宮天神とも呼ばれたという。

表参道口左側の巨大な石灯籠は、高さ5.2メートル、 重さ54.2トン、江戸時代後期の天保14年(1844年)の建立。

現在までに、大那牟遅命神倭磐余彦命木花咲夜比売命を配祀する。

明治39年(1906年)と翌明治40年(1907年)に近隣の神社を合併し、現在までに下記の神々を合祀する。

市杵嶋姫命建速須佐之男命天照大神豊宇気大神建御名方神大物主神大山祇神品陀和気神少那比古神稲倉魂命

毎年11月3日に秋祭りがある。子ども神輿や御神輿の練りの後、「神輿還御」「子ども巫女神楽奉納」「獅子神楽奉納」などが行われる。

本殿に続く125段の石段を、560キロの御神輿を担いだ若者たちが「ワッショイワッショイ」の掛け声とともに一段一段上っていく姿は勇壮。

境内で奉納される4頭の獅子舞による「獅子踊」は、市の無形民俗文化財に指定されている。

なお、式内社「鳥坂神社」の論社は他に、甲野の鳥坂神社、平田の植木神社がある。当社の位置は阿拝郡となり、当社はあまり有力な論社ではないようだ。

【ご利益】
商売繁盛・事業成功、学業・受験合格
鸕宮神社 三重県伊賀市島ヶ原
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