植木牛頭天王、7月最終土日の祇園祭は巡行と神輿の舞が有名
[住所]三重県伊賀市平田699
[電話]0595-47-0431
植木神社(うえきじんじゃ)は、三重県伊賀市平田にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 伊賀国 山田郡「葦神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
平安時代中期の寛弘元年(1004年)、出雲国意宇郡日御碕の住人である桃木政守が夢の告をうけ、播磨国広峰山から、牛頭天王を勧請したのが始まり。
当初は王手村清水谷鳥坂神社の相殿に祀ったが、鎌倉時代の文永2年(1265年)、洪水で流出したため、現在地へ遷座し、植木牛頭天王と称した。
御祭神は、健速須佐之男命・櫛名田毘売命。神紋は、京都八坂神社と同じ木瓜。
式内社「葦神社」の論社ではあるが、上記通りであれば、『延喜式神名帳』以後の勧請となり、対象外となる。
式内社「葦神社」かその後継社に、上述の鳥坂神社の牛頭天王を合祀した、という可能性はあるが、不詳。
なお、式内社「葦神社」の論社は他に、阿波の葦神社、西山の春日神社がある。
往時、当社の四季の祭礼は盛大に執り行われ、中でも祇園会は6月7日から14日まで、真泥の差出の宮を二の宮と定め、大竹に白幣を神霊として渡御。
猿楽、田楽など終日歌舞を相勤め、14日午後に遷御し、本祭が執行されたという。
安土桃山時代の慶長2年(1597年)、一棟三扉の本殿が新築され、平田郷10ヶ村の惣社として崇敬された。
その頃の祇園会例祭には、二柄の神輿に平田町の山車三台、中島の献花や花太鼓などが供奉し、八王子宮へ渡御された。
明治2年(1869年)、現社号に改称し、明治7年(1874年)5月、郷社に列した。その後、多くの神社を合併したため、現在までに下記の神々を合祀している。
鳥鳴海神命・事代主神命・火之迦具土神命
品陀和気尊命・菅原道真命・大山祇命
猿田毘古神命・彌都波能売神命
正哉吾勝々速日天之忍穂耳命・天之穂日命
天津日子命・活津日子根命・熊野久須毘命
多紀理毘売命・多岐津毘売命・市杵島姫命
武甕槌命・少彦名命・宇迦之御魂命
上筒之男命・中筒之男命・底筒之男命
大日孁貴命・鹿島御子三十八神・大物主命
香香脊男命・五十猛神命・大稲輿命
大友皇子命・志那都毘古命・志那都毘売命
安閑天皇・山田惟之命・大己貴命
この中に、『延喜式』神名帳にある「鳥坂神社」に比定される式内社(小社)の論社が二社含まれる。
一つは、もとは平田に鎮座していた鳥坂神社で、明治40年(1907年)に他社に合祀され、さらに合祀されて山田神社と称し、その後に当社に合祀されたもの。
もう一つは、もとは出後に鎮座していた鳥坂神社で、明治41年(1908年)に、上述の山田神社に合祀され、後に当社に合祀されたもの。
他の論社に、甲野の鳥坂神社、島ヶ原の鸕宮神社がある。これらの鳥坂神社と、当社が当初相殿となった鳥坂神社の関連は不詳。
現在の祇園祭は7月最終土・日曜日に定められ、祇園囃子も賑やかに絢爛豪華に執り行われている。
300年の伝統がある当社の祇園祭は、県の無形民俗文化財に指定されており、旧大山田村のみならず、現在は市を代表する祭りになっている。
本宮の午後3時、竹幣・花傘十本の祇園花・花太鼓・二基の神輿・神職・興太鼓・神宝・大字の花十本の献花・三台の楼車の順序で、平田地区の昔の宿場の町並みを巡行する。
祇園みこしの重さは200キロ以上もある大神輿で、16人の若者によって担がれ、輿を90度に傾け、右左右と3回交互に舞う独特なもの。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、五穀豊穣

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・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
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植木神社(うえきじんじゃ)は、三重県伊賀市平田にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 伊賀国 山田郡「葦神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
平安時代中期の寛弘元年(1004年)、出雲国意宇郡日御碕の住人である桃木政守が夢の告をうけ、播磨国広峰山から、牛頭天王を勧請したのが始まり。
当初は王手村清水谷鳥坂神社の相殿に祀ったが、鎌倉時代の文永2年(1265年)、洪水で流出したため、現在地へ遷座し、植木牛頭天王と称した。
御祭神は、健速須佐之男命・櫛名田毘売命。神紋は、京都八坂神社と同じ木瓜。
式内社「葦神社」の論社ではあるが、上記通りであれば、『延喜式神名帳』以後の勧請となり、対象外となる。
式内社「葦神社」かその後継社に、上述の鳥坂神社の牛頭天王を合祀した、という可能性はあるが、不詳。
なお、式内社「葦神社」の論社は他に、阿波の葦神社、西山の春日神社がある。
往時、当社の四季の祭礼は盛大に執り行われ、中でも祇園会は6月7日から14日まで、真泥の差出の宮を二の宮と定め、大竹に白幣を神霊として渡御。
猿楽、田楽など終日歌舞を相勤め、14日午後に遷御し、本祭が執行されたという。
安土桃山時代の慶長2年(1597年)、一棟三扉の本殿が新築され、平田郷10ヶ村の惣社として崇敬された。
その頃の祇園会例祭には、二柄の神輿に平田町の山車三台、中島の献花や花太鼓などが供奉し、八王子宮へ渡御された。
明治2年(1869年)、現社号に改称し、明治7年(1874年)5月、郷社に列した。その後、多くの神社を合併したため、現在までに下記の神々を合祀している。
鳥鳴海神命・事代主神命・火之迦具土神命
品陀和気尊命・菅原道真命・大山祇命
猿田毘古神命・彌都波能売神命
正哉吾勝々速日天之忍穂耳命・天之穂日命
天津日子命・活津日子根命・熊野久須毘命
多紀理毘売命・多岐津毘売命・市杵島姫命
武甕槌命・少彦名命・宇迦之御魂命
上筒之男命・中筒之男命・底筒之男命
大日孁貴命・鹿島御子三十八神・大物主命
香香脊男命・五十猛神命・大稲輿命
大友皇子命・志那都毘古命・志那都毘売命
安閑天皇・山田惟之命・大己貴命
この中に、『延喜式』神名帳にある「鳥坂神社」に比定される式内社(小社)の論社が二社含まれる。
一つは、もとは平田に鎮座していた鳥坂神社で、明治40年(1907年)に他社に合祀され、さらに合祀されて山田神社と称し、その後に当社に合祀されたもの。
もう一つは、もとは出後に鎮座していた鳥坂神社で、明治41年(1908年)に、上述の山田神社に合祀され、後に当社に合祀されたもの。
他の論社に、甲野の鳥坂神社、島ヶ原の鸕宮神社がある。これらの鳥坂神社と、当社が当初相殿となった鳥坂神社の関連は不詳。
現在の祇園祭は7月最終土・日曜日に定められ、祇園囃子も賑やかに絢爛豪華に執り行われている。
300年の伝統がある当社の祇園祭は、県の無形民俗文化財に指定されており、旧大山田村のみならず、現在は市を代表する祭りになっている。
本宮の午後3時、竹幣・花傘十本の祇園花・花太鼓・二基の神輿・神職・興太鼓・神宝・大字の花十本の献花・三台の楼車の順序で、平田地区の昔の宿場の町並みを巡行する。
祇園みこしの重さは200キロ以上もある大神輿で、16人の若者によって担がれ、輿を90度に傾け、右左右と3回交互に舞う独特なもの。
【ご利益】
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