孝霊朝に顕現、三社が分離・習合、別府明神と称された式内社
[住所]三重県伊賀市上阿波2665
[電話]0595-48-0288

葦神社(あしじんじゃ)は、三重県伊賀市上阿波にある神社。国道163号線の伊勢街道が県道668号線と交わる付近。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 伊賀国 山田郡「葦神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

社伝によれば、第7代孝霊天皇3年、現在地の東5キロにある伊勢国と伊賀国の国境である標高655メートルの黒岩峯に顕現し、三船明神と相殿となった。

第11代垂仁天皇33年、鮫ヶ原三女垣内に遷座し、粟皇神淡護明神と称した。神功皇后は三韓征伐の後、高良命に勅命し、宮を下記のように三所に分けて祀った。

[葦神社]芦谷に大国主神事代主神
[別府宮]別府に天日方命・奇日方命
[粟皇神]三女垣内に市杵嶋姫命田心姫神湍津姫命宗像三女神

この葦神社が式内社ということになる。他の論社に、平田の植木神社、西山の春日神社がある。

平安時代の承平7年(937年)、大地震により、三所とも破損、天暦3年(949年)になり、現社地に三所を合祀し、葦神社七王子淡護大明神と称した。

江戸時代前期の天和年間(1681年-1684年)には葦神社八王子淡護大明神と、江戸時代中期の宝暦年間(1751年-1764年)には葦神社粟皇神別府宮と称した。

総じて江戸期には別府明神とも称された。別当寺は大字猿野の慶正寺、上阿波の本願寺で、後に慶正寺は廃寺となった。

明治4年(1871年)7月、村社に列し、現社号に改称した。現在までに、他に、天手力男命少名毘古那命布都御魂神・神功皇后を併せて祀る。

明治38年(1905年)に白鳥神社など六社を、明治41年(1908年)に五社八幡神社など三社を合祀して、現在までに下記の神々を合祀する。

日本武尊火産霊神・伊古那姫神・猿田毘古神伊邪那岐神健速須佐之男神菅原道真・地主神・帯中日子神品陀和気命・高良玉垂命・大雀命宇迦能御魂命大日霊貴尊奧津日子神天穂日命

例祭は5月5日。境内社に、山神(山の神)がある。

【ご利益】
病気平癒、商売繁盛、交通安全、一族・子孫繁栄
葦神社 三重県伊賀市上阿波
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