門部連が奉斎した古社、「曽爾の獅子舞」と人身御供の名残の神事
[住所]奈良県宇陀郡曽爾村今井733
[電話]0745-96-2711

門僕神社(かどふさじんじゃ)は、奈良県宇陀郡曽爾村今井にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「門僕神社(大和国・宇陀郡)」に比定される式内社(小社、鍬靫)。近代社格では村社。

創建年代は不詳。曽爾川の西岸に鎮座する。「かどもり」「かどのふさ」あるいは、門部(かどべ)とも。

門部連について、『新撰姓氏録』では、「神牟須比命の児なる安牟須比命の後裔」とある。

一説には、火闌芹命を祀る神社であるとされ、宮中警護の任にあった隼人(門部)の祖神を祀ったとされる。

『惣国風土記』によれば、第21代雄略天皇3年2月、初めて当社に57束3毛の圭田を奉ったという。

参道の案内板には、「鍬靫を奉納すとあり今にその先金■▼を伝承する古社」という。■▼はそれぞれ図形で、鍬と靫を表すのだろう。

いつの頃か、御祭神は天児屋根命とされ、現在も玉祖命天手力男命天宇受売命の他に、経津主命武甕槌神・姫大御神を配祀する。

長らく春日明神として崇敬され、当社の神宮寺は春日寺を称した。現在も、「春日さん」の通称で親しまれている。

戦国時代の天文3年(1534年)、北畠東門院殿と井上越後守の助力によって造営に着手し、同年11月28日竣工した。

以来21年ごとに造替が行われてきたが、江戸時代前期の延宝7年(1679年)4月の大造営後、同年8月に大風雨のため社殿がことごとく破損倒壊。

その際、棟札・諸記録は社前の曽爾川に流出したという。翌延宝8年(1680年)に鏡が奉納され、元禄(1688年-1704年)・享保(1716年-1736年)・天保(1831年-1845年)の各年代にわたって石灯が建てられた。

当社殿は延宝の洪水以後は、現在の高所に建てられるようになった。本殿に向かって左方に若宮、右方に稲荷神社がそれぞれ鎮座している。

例祭は9月9日であったが、現在は10月の体育の日の前日に執行される。

当日は獅子三座が出御し、氏子八大字のうち、長野・今井・伊賀見の三大字の青年によって獅子頭を振り回し、神楽が奉奏される。

いわゆる「曽爾の獅子舞」で、県の無形民俗文化財。起源は不明だが、五穀豊穣と村内安全を祈願したものとされる。

「神前の舞」「悪魔払」「参神楽」「獅子舞踊り」「接獅子」など一連の獅子舞は、戦中・戦後も途絶えることなく継承されたという。

供物は各大字から供し、土俗に「すこ」と云って樋上の器に餅や柿を串にさす。餅と柿を交互に百個ずつ串にさして盛り上げ、その上に鶏頭の花を人頭に真似て造る。

これは昔、白羽の矢が立った家の娘を人身御供として生贄が行われた神事の名残りだという。

ほかに犬の舌・牛の舌と称する餅をその形に模して造り容れる。それらを祭典前に神前にならべる。

【ご利益】
五穀豊穣、家内安全、地域安全
門僕神社 奈良県宇陀郡曽爾村今井
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