明治までは天満宮、物部の信仰域か? 社名尊重で賀茂氏か?
[住所]大阪府南河内郡河南町神山595
[電話]0721-72-0534 - 建水分神社
鴨習太神社(かもならいたじんじゃ)は、大阪府南河内郡河南町神山にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 石川郡「鴨習太神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創建年代は不詳。由緒もよく分からず、近世から近代にかけて、式内社に比定された。
御祭神は、饒速日命・天照地照彦火明命・櫛玉命。いずれも饒速日命のこと。
当地一帯は、物部氏の「岩船信仰」の地域とされ、物部の一族が祖神を祀ったものとされる。
しかし、社名からは鴨氏をうかがわせる。『河内国式神私考』では御祭神を大田田根子命とし、賀茂氏の系統を指摘。
当地は、『日本書紀』に下照媛尊が味鋤高彦尊を詠った歌の中に出てくる「石川片淵」の地であるとの指摘もある。
神前で拍手をすると、遠く葛城山・金剛山の方面から明確な反響音(カンナリ現象)がするので、味鋤高彦尊など、賀茂族の御神霊を御祭神とするという説。
明治時代まで「天満宮」と称し、菅原道真を祀っていた天神・天満宮の神社だった。
江戸時代前期の万治3年(1660年)11月、附近にあった高皇産霊尊を祀る天神神山神社の社殿が、暴風により破壊されたため、当社に合祀された。
その後、式内社に比定され、現社名に改称、主祭神を饒速日命に改めた。
ここが問題で、物部氏の信仰域と考えるのか、社名尊重か。通常ならば、間違いなく後者を考えるのであって、社名との齟齬について、当時、どのようにとらえていたのか。
非常に興味あるところだが、関連する資料などが見つかると面白いのだが。明治5年(1872年)、村社に列した。例祭は10月第3日曜日。
境内には、鎌倉時代の作とされる五重石塔がある。社殿は唐破風の入母屋造、かやぶきの凝った建物で、その彫刻に定評がある。
境内社に、一言主社(一言主神)、神明社(天照大神)、御魂社(八百万神)、琴平社(大物主命)、聖天社(大聖歓喜自在天)がある。
一言主社の由緒は不明だが、一般的には珍しい。やはり賀茂氏との関連をうかがわせるものか。他に、荒神と水神の石神が祀られている。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、事業成功

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鴨習太神社(かもならいたじんじゃ)は、大阪府南河内郡河南町神山にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 石川郡「鴨習太神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創建年代は不詳。由緒もよく分からず、近世から近代にかけて、式内社に比定された。
御祭神は、饒速日命・天照地照彦火明命・櫛玉命。いずれも饒速日命のこと。
当地一帯は、物部氏の「岩船信仰」の地域とされ、物部の一族が祖神を祀ったものとされる。
しかし、社名からは鴨氏をうかがわせる。『河内国式神私考』では御祭神を大田田根子命とし、賀茂氏の系統を指摘。
当地は、『日本書紀』に下照媛尊が味鋤高彦尊を詠った歌の中に出てくる「石川片淵」の地であるとの指摘もある。
神前で拍手をすると、遠く葛城山・金剛山の方面から明確な反響音(カンナリ現象)がするので、味鋤高彦尊など、賀茂族の御神霊を御祭神とするという説。
明治時代まで「天満宮」と称し、菅原道真を祀っていた天神・天満宮の神社だった。
江戸時代前期の万治3年(1660年)11月、附近にあった高皇産霊尊を祀る天神神山神社の社殿が、暴風により破壊されたため、当社に合祀された。
その後、式内社に比定され、現社名に改称、主祭神を饒速日命に改めた。
ここが問題で、物部氏の信仰域と考えるのか、社名尊重か。通常ならば、間違いなく後者を考えるのであって、社名との齟齬について、当時、どのようにとらえていたのか。
非常に興味あるところだが、関連する資料などが見つかると面白いのだが。明治5年(1872年)、村社に列した。例祭は10月第3日曜日。
境内には、鎌倉時代の作とされる五重石塔がある。社殿は唐破風の入母屋造、かやぶきの凝った建物で、その彫刻に定評がある。
境内社に、一言主社(一言主神)、神明社(天照大神)、御魂社(八百万神)、琴平社(大物主命)、聖天社(大聖歓喜自在天)がある。
一言主社の由緒は不明だが、一般的には珍しい。やはり賀茂氏との関連をうかがわせるものか。他に、荒神と水神の石神が祀られている。
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