物部守屋の別業があった阿都の地、物部系の阿刀連大神を奉斎
[住所]大阪府八尾市亀井町2-4-5
[電話]072-994-0287
跡部神社(あとべじんじゃ)は、大阪府八尾市亀井町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 渋川郡「跡部神社/路部神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。現在は神社本庁に属さない単立神社。
創建年代は不詳。当地は物部氏ゆかりの、物部守屋の別業があったと伝えられる阿都の地とされる。
社頭石碑によれば御祭神不詳だとされるあ、阿刀氏が祖神を祀ったものと考えられている。
阿都という地名から阿刀という氏名が生まれ、阿刀連・阿刀宿禰を称した一族。
『新撰姓氏録』では、石上同祖の左京と、石上朝臣同祖の山城国の阿刀宿禰、石上朝臣同祖の山城国、神饒速日命の後の摂津国、釆女臣同祖の和泉国の阿刀連がある。
『先代旧事本紀』では、饒速日命の孫である味饒田命(うましにぎたのみこと)を祖とすると伝える。
現在当社では、阿刀連大神と称しているらしい。『延喜式』神名帳では、「路部神社」と表記されている。「路」は「跡」の誤りとする。
阿都の地であることは間違いなく、「路部」では意味がなさず、やはり現社号「跡部」が正しいか。ともかく、それ以降の由緒は伝わらない。
なお、京都府京都市右京区には阿刀神社があり、当社との関係が指摘されている。
明治になり、明治5年(1872年)4月、天照皇大神・伊弉册大神の合祀が命じられたという。
昭和初期に、北亀井の里の小祠で祀られていた八王子大神を合祀。現在は、阿刀連大神の他に、天照皇大神・八王子大神を祀る。例祭は10月10日。
なお、当社の南方には、物部守屋終焉の地として、木本・北木本・南木本の樟本神社や、大聖勝軍寺、物部守屋大連墳などがある。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、開運招福、家内安全
【関連記事】
・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
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跡部神社(あとべじんじゃ)は、大阪府八尾市亀井町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 渋川郡「跡部神社/路部神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。現在は神社本庁に属さない単立神社。
創建年代は不詳。当地は物部氏ゆかりの、物部守屋の別業があったと伝えられる阿都の地とされる。
社頭石碑によれば御祭神不詳だとされるあ、阿刀氏が祖神を祀ったものと考えられている。
阿都という地名から阿刀という氏名が生まれ、阿刀連・阿刀宿禰を称した一族。
『新撰姓氏録』では、石上同祖の左京と、石上朝臣同祖の山城国の阿刀宿禰、石上朝臣同祖の山城国、神饒速日命の後の摂津国、釆女臣同祖の和泉国の阿刀連がある。
『先代旧事本紀』では、饒速日命の孫である味饒田命(うましにぎたのみこと)を祖とすると伝える。
現在当社では、阿刀連大神と称しているらしい。『延喜式』神名帳では、「路部神社」と表記されている。「路」は「跡」の誤りとする。
阿都の地であることは間違いなく、「路部」では意味がなさず、やはり現社号「跡部」が正しいか。ともかく、それ以降の由緒は伝わらない。
なお、京都府京都市右京区には阿刀神社があり、当社との関係が指摘されている。
明治になり、明治5年(1872年)4月、天照皇大神・伊弉册大神の合祀が命じられたという。
昭和初期に、北亀井の里の小祠で祀られていた八王子大神を合祀。現在は、阿刀連大神の他に、天照皇大神・八王子大神を祀る。例祭は10月10日。
なお、当社の南方には、物部守屋終焉の地として、木本・北木本・南木本の樟本神社や、大聖勝軍寺、物部守屋大連墳などがある。
【ご利益】
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