都内最古の平安末期の経塚、関東七社、江戸期に神鏡や和歌の奉納
[住所]東京都八王子市中山806
[電話]042-620-7267

白山神社(はくさんじんじゃ)は、東京都八王子市中山にある神社。中山白山神社とも。近代社格では村社。八王子八十八景の一つ。御朱印の有無は不明。

創建年代は不詳。御祭神は伊弉諾尊

平安時代末期の仁平4年(1154年)、比叡山西塔の武蔵坊弁慶と血縁を持つ弁智の働き掛けにより、有阿・順応らが賛同、小野氏・清原氏が援助し、法華経8巻・観普賢経1巻・観無量義経1巻の経典一式が奉納された。

これは江戸時代後期の文政9年(1826年)に出土した都内最古の経塚。

船木田荘などの記述が発見されるなど、多摩地域での武士と摂関家の関係、天台宗の僧侶の活動を知る重要な遺跡となっている。

なお、観普賢経には長隆寺という寺が書かれているが、現存しておらず、現在は境内に礎石が置かれている。

弁智はこのような形で関東の七社に対して、経典の奉納を進めたとされ、それらの寺社を関東七社と呼ぶようで、当社はその一つという。

豊臣秀吉の小田原征伐により天正18年(1590年)6月、焼失。

江戸時代になり、慶長18年(1613年)、現在の町田市にあたる木曽村の覚円坊の頼長権大僧都、伊藤九朗左衛門が大旦那となり再建された。

明治の神仏分離令が出されるまで常宝院が別当となった。

江戸時代中期の元文3年(1738年)戌午正月、由木領主勝田山城守藤原光寛が神鏡を奉納し、かつ石櫃を造営してこれを納めた。これが当社の御神体となっている。

寛政8年(1796年)12月、11代将軍徳川家斉の命を受け、中山に狩する際、勝田安芸守之忠が詠進した和歌一首が現存する。

明治6年(1873年)12月、村社に列した。明治42年(1909年)、覆殿・弊殿が新築され、昭和3年(1928年)には拝殿が改築された。

昭和50年(1975年)、天皇陛下即位50周年記念として社殿・参道などが改修された。

境内末社に天満宮、金比羅神社、秋葉神社、山王大権現がある。参道や境内における春の桜に定評がある。

例祭は9月2日、現在は9月第1日曜日。

【ご利益】
夫婦和合、家内安全
白山神社 東京都八王子市中山
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