石城山神籠石の石城山頂に鎮座する三社権現、室町期本殿が重文
[住所]山口県光市塩田2233
[電話]0820-48-2760

石城神社(いわきじんじゃ)は、山口県光市塩田にある神社。『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 周防国 熊毛郡「石城神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社御朱印の有無は不明。

古代山城で、現在は国の史跡に指定されている石城山神籠石が有名な、標高362メートルの石城山の山頂部に鎮座する。

社伝によれば、飛鳥時代の第30代敏達天皇3年(574年)、吉備屯倉の津史が当地に至り、「石城宮」の勅額を賜ったことによって、創建されたという。

石城山神籠石の築城や機能時期は不明だが、この山城と当社との関連は当然のことながら指摘される。しかし、関連は不詳。

一説に、境外社の宇和奈利社が本来の石城山の神ともされる。

山城築造により、朝廷から大山祇神・雷神・高龗神が勧請され、宇和奈利社に代わる山城の守護神として当社が創建されたとする説もある。

『日本三代実録』貞観9年(867年)8月16日の条に、石城神が正五位上から従四位下に昇叙されたとある。

鎌倉時代の嘉禄3年(1227年)3月、『周防石城宮神官解』では、当社にまつわる紛争に関する記述がある。

御祭神3柱の本地は大山祇神が釈迦如来、雷神が普賢菩薩、高靇神が文殊菩薩とされた。なお、『特撰神名帳』などで御祭神は天津彦根命ともされる。

戦国時代になり、文明元年(1469年)7月に大内政弘により現在の本殿が造営された。附りとして、宮殿1基・棟札2枚とともに、国の重要文化財に指定されている。

この本殿は、永正11年(1514年)に大内義興により、明暦2年(1656年)に毛利綱広により、寛政10年(1798年)に毛利斉房によりそれぞれ修復が行われた。

また、安政4年(1857年)には毛利敬親により、拝殿と、現在の当社随身門である神護寺仁王門が造営された。

近世には「石城山式内三社大権現」「石城三社権現」と称され、石城山を山岳霊場とする信仰が形成された。

山頂は「長州第二奇兵隊」の本陣があった場所で、錬兵場跡や火薬庫跡などが点在している。

当社西側には別当寺の石城山舎那院神護寺があったが、明治3年(1870年)に廃寺。明治6年(1873年)、郷社に列し、大正2年(1913年)に県社に昇格した。

例祭は10月7日。境内社に須賀社がある。

【ご利益】
身体壮健、病魔退散、武運長久・勝運
石城神社 山口県光市塩田
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